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次の世代の司書について

 前回の続き。ベテランの存在もさることながら、その後の世代に対するコメントをはてブでいただきました。結局、公共図書館は無料貸本屋という図書館観で育てられてしまった世代(特に『市民の図書館』が広く浸透した後に図書館を知った私のような世代(30代)以下)にとって、その公共図書館観を覆される機会は残念ながらほとんど用意されないまま現在に至っていると言っても過言ではないでしょう。そのような図書館教育によって形成された図書館像に憧れを抱く者が司書を目指したのだとすれば、貸出至上の運営に異議を持つことは、残念ながら世代的にも難しいのかもしれません。最も、司書課程の講義や実際に司書になった後の実務において、「気付き」があって然るべきだとは思いますが、司書は専門課程以外の大学で資格取得する者が大半であり、講師陣によっては自身の図書館観を強めるのみの教育しか受けられないケースがあること(筑波や慶応などの専門課程が公共図書館職員の供給源にあまりなっていないことも…かな?)、また現場でも貸出サービスに忙殺され、その数字で評価される日々を送る中で、その流れに逆らうというのもなかなか難しいという点で、個人の責任にのみ帰すには少々無理はありそうですが。
 まぁ、そうは言いながらも、貸出とリクエストに重きを置く業務の仕方というのは、司書として非常に楽に流れている、もっと言えば手抜きをしているのだということは、指摘しておきます。

 そういう意味で、これからの司書に向いているのは、実は本(小説)嫌い、今まで公共図書館に寄り付かなかった、そういう人物像なのではないかとすら思えます。もちろん、現場では本に詳しい者が必要であることは普遍ではありますが、そうでない者の視点(公共図書館について無理解な素人のという意味ではなく、理解の上でなお公共図書館を利用しようとしない者の視点という意味)を現場に持ち込む手段を考えなくてはいけないのではないでしょうか。今まで、いわゆる事務職員など司書以外が館長などの要職に就いていたケースが多いのですから、その役割を担うことは可能であったと思うのですが、実際問題としてどういう職員が図書館に寄越されたのかという問題もあって、結局は実現していないのでしょう。ビジネス支援などによる新規顧客の獲得も、利用者側からのそういう効果を期待した施策なのだとは思いますが、保守的に嫌われたり、また実施していてもこういう目的を理解していない館が多いこともあって、有効策となるにはまだ不十分なのが現状だと思います。

 こうなってくると、一体誰が手垢に塗れたこの図書館観を大きく壊すことができるのか、危機感を持つ一部の司書や研究者の動きには期待をしてはいるのですが、非常に構造的に根深い問題と言わざるを得ません。さて、どうすればいいのでしょうか……