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強固な成功体験の壊し方を模索することが公共図書館には必要なのだろうが…

 1ヶ月ほど間隔を空けてしまいました。どこがdiaryやねん、って感じですが、いつものことですので気にしません(嘘)。

 昨日、訳あって某博物館に観覧目的で行きました。土曜日のうららかな午前中という絶好の条件で、広い館内で出会った来館者はたったの1組。まぁ、特別展開催中ではないということもありつつ、根本的にここは僻地の公園内にあり、かつ博物館入場者でも公園が駐車場代を取るという運営をしているという大きな問題がある訳なのですが。
 そんな中で、来館者より多いスタッフが、各々必死に接客しているのを感じました。もちろん接遇がいいというのもあるのですが、展示見てって下さいという雰囲気が感じられました。でも、来館者は少ない。

 スタッフのモチベーションはどこからのものだろうか(もちろん役所から収入が少ないと圧力をかけられていることは容易に想像できるけどそれ以上のものを現場からは感じたので)、と要らぬ心配をしたのですが、ふとこれで努力が報われて人が来たら、この上なく嬉しくなるだろうな(昨今の人気に媚びる展示企画が流行っている業界の傾向は気になるところだけど)と。

 で、はたと思い出したのは、かつて公共図書館で貸出に運営転換し、閑散としていた状況から劇的に利用者を増やした実体験を持つ、ベテラン司書達のこと。そりゃ、その後の司書では想像できないレベルの強固な成功体験として刷り込まれたんだろうなぁ、それは理論を大きく越えてしまうほどの、と思った。

 そういう人達が(言葉が過ぎるが)年寄りとして権力と頑固さを身に付けてしまったのが今の状態で、それはそれは簡単に覆ることがないのは、ある種当然の帰結かもしれない。今の公共図書館を変えようというのは、つまりそういう自然の摂理とも言える状況に挑むことを意味するのではないだろうか。もちろん、その人達がもっと若い時に成功体験を捨てることが必要であったことは言うまでもないが、今更非難しようとも何も変わらないので、敢えて深く言及しませんが…