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学力調査の結果公表とバウチャー制

 しつこいけど、西の例の人の話を続ける…と思ったら、何やら同調して鳥取県や秋田県も勝手に結果公表するとか、市町村が結果を開示しなければ予算やらないと恫喝、というところが複数になってきたとか。いやはや、もうこの人達は地方分権なんて口が裂けても言わないでくださいね(秋田県知事なんて今の知事会は国に対して地方分権論に突っ込まないなんて批判して大見得きってたのにね、結局自分の権力のための主張だったんだな…)。

 学力調査の復活は、教育バウチャー制度の推進派である安倍の布石だったのだが、調査結果を公表しないなんていう前提は端から嘘だったのだと思う。バウチャー制度は成果の挙がる学校に予算配分することを目的にしている以上、調査結果を公表することが前提の制度なのだから。調査を再開することで、結局は結果公表の社会的圧力が高まるであろうこと、いずれは文科省や教育委員会がこれに屈して学校別のレベルまで公開せざるを得なくなること、これを公開したことにより成績のよい学校に予算を集中させるようになること、とここまでを読んだ上での調査復活だったのだと、私は思っている。だから、現在市町村を恫喝している首長は、知ってか知らずかこの路線に忠実に従っていることになる。決して、成績の悪い学校を重点的にフォローする結果にはならないであろう。何しろバウチャー制度を推進してるのは経済界であり、その目的はエリート養成に公共投資を集中させたいから…

 …って随分左寄りなことを書きましたけど、教育に関してはこの解釈に同意しておりますので。つまりバウチャー制に賛成できないなら、端から学力調査なんて再開しちゃダメだったのだろうと。こと教育政策というのは長年影響を及ぼすだけに、教育制度に対する切り崩しに成功した安倍の亡霊は、いつまでも生き続けることになりかねないのが恐いところだ。

 余談だが、Wikipediaによると例の人は知事になる前に「社会に出ると何の役にも立たない学校の勉強(英・数・国・理・社)は重要なものではなく、学校で詰め込むべきではない。また、これらの勉強は大人になってからでも、本人のやる気次第で十分習得出来る。現在の学校の勉強とは、受験のための手段に過ぎない。真に必要なのは『人の上に立つ学問』ではなく『人の役に立つ学問』である。学校で最低限教えるべきなのは読み書き、そろばんと、目上の人間に対する礼儀だけでいい。子供に無駄な知識を強制的に詰め込み、それで優劣をつけるような教育をすると、人格が歪んでしまう。」と宣ってたそうな。このポリシーが今でも変わっていないのだとするならば、昨今の言動は支持母体である経済界の差し金で操られてるだけということとなるのだが、さて…