No.561の記事

読書は個人的趣味の極み、と読書週間の真ん中で叫ぶ

 今更何をと言われそうだし、それでも自分で納得する結論が未だに得られていない話なので、長文のわりに最後まで読んでもすっきりしない、そんな話です。

 「公共図書館は何故、無料で資料を貸しているのか?」

 …あんた、ほんとに司書資格持ってる?図書館法って知っている?ってつっこまれそうなお題。
 いや、法律論とかを聞いているのではありません。図書館法や著作権法のことは一応、知っておりますから(笑)。

 当たり前の話ですが、公共(ここでは=公立としておきます)図書館は、税金で建物を建て、人を雇い、施設を維持しながら、本を中心とした資料を購入し、それを無料で貸している施設です。貸出以外の機能は、そのレゾンデートルを自分は認められますので今日はパス(図書館業界ではそうでもないけどね…)。で、貸出も公共サービスですので、当然このサービスには「公共性」というものが無ければ成立しないですよね(公共図書館の公共性もいつも議論してますけど、今日はもうちょっと俗っぽく話をしたいのです)。

 さて、学術的であるとか専門的であるような資料は、個人で買うのはどうよという価格をしていたり、それを利用した調査研究が世のためになる(かもしんない)という点で、まぁ納得。
 自己啓発本やビジネス書は疑問がない訳ではないが、個人で購入するよりも貸出することにより、より多くの市民が読むことになり、市民の資質向上に繋がる…と無理があるけど何とか納得。
 じゃ、ベストセラーはじめ文芸書はどうなの?そりゃ、上質な日本語に触れるとか、読書は教養になるとか、よく言われているんだけど、何か釈然としないんだよね。児童書はともかく、大人の図書館から借りた本の読書って、本当に本人の教養なり自己研鑽に結びついてるか?というか、単なる娯楽提供じゃね?というか。ここを突き詰めていくと、公共図書館資料=良書論にしか行き着かないが、そりゃ大きな間違いだし。まぁビデオやDVDの貸出の場合は更にそんな気がするんだけど、あれらは貸出用資料の購入時に著作権料的にお金払っている点や、最新のものは貸出できないというルール上に成り立っているので、まだ納得できるんだよね。本は個人用定価で買って無料で貸し出すから、著作者や出版社が怒っているし…うーん。活字を読む場合と映像を観るのでは、同じ物語でも想像力が違うでしょ、だから読書は素晴らしいことなんだよ…的な論もなんだか怪しい気がする。もちろん、絶版本なんかを図書館から借りる的な場合は、公共性がよく分かりますが。

 つまり、「文芸書的資料の貸出」に対する公共性が一番分からないし、そのよくある理由説明(読書=絶対善という価値観)にしても、結局、活字媒体だけ特別扱いである理由が分からないのです。
 要求論に対する単なる批判をしたいのではないのですが、所得制限もしないでバラマキという民主党への批判を見ると、関係はないけどいつもこの公共図書館のことを毎度毎度思い出すのです。民主党はともかく、公共図書館がもっと利用されなければという危機にさらされている時に、いずれこの話は大きく湧いてくると思うんですよね、行政サイドから。だから公共図書館を貸出機能から考えてはいけない、と思っているのですけど、何だかこれ以上うまく言えない…

 以上、読書週間まっただ中に、かなり挑戦的かつ支離滅裂な思いつきエントリでした。でも、本気でだれか税金を使って「公共図書館がベストセラーを無料で複数冊買ってどんどん貸し出し、ブームが去ったら本を捨てて」も、図書館利用者以外からの苦情が顕在化していない本当の理由を分かりやすく教えてください。