最近の日記

blog移転します

 機能的に限界が来ておりますので、blogの移転(といいましてもサーバは同じですのでURLが少し変更されるだけですが)をしますので、よろしくお願いします。
 新しいURLは下記の通りです。

 http://sakuraya.or.tl/tohru/diary.cgi

 …ほとんど違いがないやんけ、というツッコミはなしです。とりあえず、前回の記事を重複して載せております。

※このエントリは、トップページ表示やRSSで最上位に来るように、日付が将来になっておりますが、実際の投稿は2010年9月4日です。

高知の県立・市立図書館合築を考えてみる

・朝日新聞「図書館建て替え 県・高知市「合築」に」(2010.8.25)
・高知県教育委員会「新しい県立図書館整備に関する報告書等について」(2010.8.25)

 高知の合築については、すでに4,5年前の橋本知事時代から知事と市長の間で案が出ていた話で、それがようやく具体的な計画段階になってきたものです。最近、一部の図書館業界人が騒ぎ出しているようですが、もし今までこの話を知らなかったのだとすれば、アンテナの感度が悪すぎだし、知っててなお荒唐無稽と笑っていたのであれば、ご自身の常識は世間の非常識だったという事を改めて認識してもらいたいところです。

 さて、教育委員会が公表している報告書のうち、県市ワーキンググループによる「高知市立追手前小学校敷地への県立図書館・市民図書館の整備について」が注目に値する内容だと思います、何せカウンター業務や図書館システムも同一とすることを目指しているのですから。実現には、細かい問題が(報告書の指摘以上に)諸々と転がっていることは容易に想像がつきますが、いつも県立図書館についてうるさくしている私としては、この方向は結果として、県立図書館の存在意義を認識する(させる)ための大胆かつ適切な方策になっていると思うのです。もちろん、為政者はもちろん現場の人もそこまでの意図はないとは重々承知ですが。しかし、可能であれば私はこの合築作業とその後の運営に県側から参加したいと、本気で思っているほどです(新館に向けて中年でも可の採用がないかしら)。

 高知県内の市町村立図書館は、高知市民にサービスが偏るとして合築に大いに反対しているそうですが、私にはその理由、根拠が理解できないです。どうせ県立図書館を単独で新築したところで、直接サービスに偏重し、その周辺住民にしかサービスが行き届かない、結果として概ね一番規模の大きな都市である県庁所在地に県と市の二重サービスが起こり、図書館サービスが手薄になりがちな小規模都市や地方には県立図書館の恩恵が何も及ばない、ということは、ここ15年ほどで新築された多くの県立図書館の状況をみれば明らかですけど。そのような主張は、例えば、長崎県立図書館の誘致に躍起になっている大村市のような構図が未だにあるように(大村市は市立図書館が老朽化したから県立図書館で代替させたいという意図で誘致に積極的)、高知県の市町村立図書館関係者ですら県立図書館論なしで、県立図書館をただの大きな図書館としてしか認識していない証左です。むしろ合築により、県には市町村立支援にリソースを割いてもらえるのだから、自館にとってこれほど有利なことはないはずです。一体、県立図書館とは何であると認識しているのでしょうか、と疑問を持たずにはいられません。

 さて、全面的に賛成色を強めた論調になってしまいましたが、最後に問題点も指摘しておきます。まず、カウンターとシステムを1つにするのであれば、登録者情報の扱いが大きな課題となるでしょう。このシステムの登録者情報管理は市、県どちらの責任になり、どちらの個人情報保護条例が適用されるのか…例えば、県所有の資料しか利用していない人の登録者情報を、市職員がアクセスできるとすれば、それは県の個人情報保護条例違反になりかねない。まぁ、登録時に県・市両方の利用者登録になるという承諾を本人に得るというのが安易な解決策でしょうけど。ただ、最近でも岡崎市立図書館で警察に任意に情報を提供したという話もあって(事実なら市の個人情報保護条例違反であることは明白)、このあたりの情報の取り扱いは、より慎重に検討するべきです。

 あと、県と市による資料収集分担と帰属の問題。おそらく、一般の雑誌や新刊は市が購入し、専門性の高いものを県が購入、となるのでしょうが、購入者=所有者のままにしておくと、将来的に高知市の資料を県がせっせと他市町村に頻繁に運搬することになるため、そのうち高知市が財政的に文句を言い出しかねない(高知市の税金で購入したもので他市町村民を利するなという話)。これは、ある程度年数が経って、市立図書館としては廃棄するべき段階になった資料を、無料で県に移管するということをしなければならないと思われますが、物理的な移動が発生しないために、おそらくこの手続きは行われないでしょう。中の人も気づかないであろう問題でしょうが、将来どこかで噴出してくるでしょう。

 しかし、県立図書館にとっての最大の問題は、新館効果(来館者、直接貸出数の大幅増による表面的な成功の一般認知)が望めないことです。県立図書館機能としては成功するでしょうが、県議会では、表面的な成功を高知市に奪われることで、新館にした効果が目に見えないと問題視されるかもしれません。通常であれば教育委員会が「新館になって来館者が○人、貸出数が○点増えた」と答弁することで、運営費や資料費を数年は確保できるのですが、今回のケースでは合築により予算減の口実があらかじめ用意されている状況です。果たして、このような単純な成功数字なしで、県立としての予算を継続的に確保できるのか、実は年々かなり難しくなっていくと予想します。以前、図書館運営には二面性が必要だと書きましたが、その一面がないのは、やはり県立図書館の運営には短期的にはちと厳しいかなぁ、と。

 長々と書きましたけど、個人的には期待を持って推移を見守りたいと思います。

※しばらく更新が停止しておりましたが、個人的に少々忙しくしているためです。またしばらく、放置することになると思います。

指定管理者制度から見る公共施設運営の真の問題とは

 ・三菱UFJリサーチ&コンサルティング サーチ・ナウ「指定管理者制度における官民意識の『ずれ』」(2009.11.16)

 日付は少し古いが、最近目にしたので今更ながらエントリ。指定管理者側からの視点で、単文ではあるが、指定管理者制度の問題点をよく突いていると思う。

 制度導入の目的は、これまでの個々の事例でほとんど明示されることはなかった。腹の中で行政側はコスト削減を第一に考えているのは明々白々ではあるが、これを小出しにしつつ、民間企業のノウハウによるサービス向上を前面に掲げてきたのが現状だ。しかし、ここで指摘のあるようにサービスとコストのバランスが均衡してきた中で、その相反する関係性と問題がようやく表出し始めてきたのは事実であろう。

 また、丸投げなど行政側の当事者意識の欠如もやはり大きな問題である。そもそも、その施設管理の知識・経験がない、すなわち当事者意識を持ちようもない職員や部署が指定管理者を管理する体制を敷くことに対する問題点は、僭越ながら私も図書館の例で以前から指摘してきたところだが、例えば先般の浜名湖での痛ましい事故でも、これまでの静岡県の態度は、指定管理者に大きな責任があるというスタンスのようだが、あれは県の施設で起こった事故であり、一義的に責任を負うべきは県のはずであり、残念ながら当事者意識の欠如が如実に見られる事例になってしまっている。今回の事故は指定管理者に責任がないとは思わないが、その前に県には、制度を導入した責任、当該指定管理者を選定した責任、指定管理者による運営内容の把握と適正化を図れなかった責任(仮に指定管理者が運営計画と実態が剥離していたとしても、それを放置した責任はより重かろう)が先にある。行政の当事者意識の欠如は、指定管理者制度自体の欠陥ではないが、実質上の大きな問題点として挙げられるべき点である。

 3つめについては、私には可否判断が難しいところではあるが、公共施設で民間企業が儲けることに対する嫌悪的感情をもって制度導入に原理的に反対することは、制度を全く理解していないことを自ら公言していることと同義であることだけは明らかである。少なくとも指定管理者制度について意見を持つのであれば、前提として制度に対する最低限の理解は必要で、それなくしての意見にはまったく正当性を持たなくなるのは、未だに「民営化反対」と叫ぶ団体を見れば明らかである。

 最後の「指定管理者制度は、今まさに岐路にある」というのは、確かにそうであろう。しかしこれは指定管理者制度の設計の問題ではなく、制度自体を正しく理解していない行政と住民によるものである。本来の指定管理者制度の問題点はもっと別にあると思われるが、その問題が表出するに至らない段階で上記のような実務上の問題が噴出しているのである。よく考えると、指定管理者制度に関しては実に行政運営が幼稚であると言わざるをえないが、これは行政自体のレベルが低いというよりは、公共施設の運営に対する行政内部の重要度があまりに低いことに原因があると思われる。結局のところ、この行政の施設運営軽視の態度こそが一番の問題であり、施設を守るとして指定管理者制度導入に反対するのであれば、この視点からの論陣が絶対に必要であることを提案しておくが、恐らく知識の蓄積場たる公共図書館に関してすら、このような反対論の構築がなされないであろう事は、無料貸本屋たる公共図書館の現状容認派が反対することを考えると容易に推測されるが、いずれにせよ本当の敵は指定管理者制度でないことは確かである。私が「民営化反対」論を見るにつけ、いつも違和感を感じかつ鼻白んでしまう要因は、この「的外れ」なのであろう。

中日球団に雇ってもらいたいわ

 昨日、ナゴヤドームに行きました。なんでも7,000人も入らないゲームはナゴヤドーム史上初だったそうですが、おかげさまで、岩瀬の250S達成の数少ない目撃者になることができました。
 いやぁ、前回のナゴヤドーム観戦は中日の継投パーフェクトで日本一決定という試合でしたから、いやはや、この運すごいでしょ

 ……って、わし、ファイターズファンやっちゅうねん!まったく、3塁側では数少ない観客の中で、明らかに矢貫のご親族一行様が応援していたのに(福島から来られたのだろうか)、よりによって8回2死で三菱ふそうの先輩でもある加藤が矢貫の勝ちを消してしまって、ブランコが打った瞬間、もう気の毒というしかない落胆ぶりでしたよ。いや、ひどい試合だった。

 ニュースを見たら、岩瀬のヒーローインタビューの後ろで、トボトボと客席を歩くわしの姿が映っておりました。禁を破ってナゴヤドームに行くから…

県立図書館のピークはいつなのか?

 ・中日新聞 「県図書館、寄贈の雑誌に広告掲載 財政難でスポンサー募集(岐阜)」(2010.5.13)
 ・毎日新聞 「県立図書館:25雑誌の購読停止 予算大幅減、県内で読めぬ懸念 /福島」(2010.5.15)

 県立レベルであっても、まともな経営感覚が欠如して財政を悪化させた県は、財政健全化に託けて図書館の資料購入費を恐ろしいほど削減している。これに憤りを感じている人には是非、県は一体何を削り何を残しているのか、県全体の財政をよく見ていただきたいが、記事にある県だけではなく、一般論に広げてもよいほど金のない県は共通的に図書館の資料費を実に簡単に削っている。

 理由は、ひとつは図書館運営には国の補助金が入らないから(地方交付税交付金の算定基準として図書館の項目はあるが、それに基づく交付金の使途は限られないので、図書館に使うかどうかは自治体の判断一つ)、ということ。財源の補助がない県単独事業はとにかく簡単に切りやすい。

 あと、これは上記の理由より大きいか、小さいかは一口には断言できないが、当局(役所)や政治側に、県立図書館の資料費を削減することに抵抗がないことが挙げられる。当局はともかく、一昔前なら政治的には利用者からの反発を恐れていた部分があろう。確かにここ10〜20年で県立図書館は政治的な道具として各地で新館が完成し、その際に資料費も旧館時代から一気に増額され、年間予算で億を超すところも出てきた結果、しばらくは政治家の人気取り策に貢献してきた。しかし、昨今の財政状況の悪化と指定管理者制度の導入を当局よりちらつかされた結果、県立図書館は貸出至上主義及び単館主義からの脱退を余儀なくされ、ようやくレファレンスサービスやビジネス支援などへの転換を標榜するようになりつつあるのが現状だ。しかし、皮肉にもこの市町村立図書館との分化方針が当局に都合よく利用され、県立図書館の資料費がジリ貧にさせられたという面があると思われる。

 福島県のように気まぐれ的に資料費を増減させている例は、県立図書館の資料費変動により将来の県立図書館の書庫で何が起こるかを、当局は(と経緯によっては図書館自身も)何も想定できていないことを、典型的に示しているだろう。所詮、急ごしらえでレファレンスに看板を掛け替えたところで、長年にわたって県立ですら自ら染みつかせた「無料貸本屋」のイメージは、当局、政治家、利用者、県民から簡単には払拭できないのである。政治的利用により発展した県立図書館が、後にこのように(予算的に)簡単に叩かれるのは、政治的利用に翻弄された部分で同情がないでもないが、結局は図書館自身が政治的な方向に同調しすぎて「無料貸本屋」であることが使命であると信じて疑わなかったからに他ならない。実につまらない構造である。

 これは県立図書館が市町村立図書館ではなくなっただけの面で捉えられた故の悲劇である。県立図書館といえど、当局には図書館資料のフローは「購入→貸出→廃棄」でしかなく、しかもその期間は短期間である、つまり資料は純然たる消耗品でしかないと捉えられていたため、このうちの貸出、しかも新刊の貸出を重視しないという方針転換を県立図書館自ら行えば、当局はその前段の購入を喜んで削減するのは当然の帰結である。本来であればその先にあるはずの、県立図書館としての機能(資料面で言えば、県内市町村図書館の図書館としての資料保存機能、レファレンスサービス充実に見合う資料充実など)は、時間的制約があったとはいえ、県立図書館からの提示が弱すぎて、当局に取りあえげて貰えなかった(意地悪く言えば敢えて無視された)のである。これは、(自己反省も含めて)県立図書館側が「足りなかった」としか言いようがない。

 記事のような資料費削減による影響は、現時点では新刊本や雑誌の購入が少なくて利用者から不満が出る程度で、入館者数や貸出数が簡単に落ち込むだけのことだとは思うが、最も危惧するべき影響は10年、20年後になって書庫資料の欠落や大きな断層が数多く生じることである。もっとも、ここを危惧できる人の割合は、新刊本や雑誌がないと県立図書館からそっぽを向く人の割合よりもはるかに小さい。そこが最大の問題である。

 しかし、図書館とは(新館を含めて)設立された時がピークであとは下がる一方であるような運営をされる施設ではないはずである。少なくとも良い図書館を創るということは「時間と予算と人力をかけて徐々に成していく」ことであって、「短期的予算で簡単にできる」ことではないという事実は、図書館側の人間が強く発信していかなければならないことだが、果たしてそれを理解できている図書館人は現在何人いるのだろうか、甚だ心許ない。博物館、美術館も同じだが、日本では見渡す限り、最初に建物が建設された時がピークである公立図書館、博物館、美術館が大半である(安易に新しいもの好きの国民性と結びつけたくはないが、作り手側の状況として土○屋行政に偏重している特徴とは大いに関係しているような気はする)。ともあれ、この種の施設は「醸成」させていくという発想、またそれによりピークは作り続けていくという発想がそろそろ必要ではないだろうか。

梨田を解任しろという理由

 昨日のはあまりに感情的だと思われたかもしれませんが、私が梨田を解任するべきだというのは、訳があります。それは、結果はともかく、采配に「納得がいかない」からです。これは、1年目からずっと思っていることで、昨年は予想外に打ったので結果として何も言えませんでしたが、今年は結果がでないのだから、ここで書いておきます。

 例えば、昨日の試合。9回裏で何故キャッチャーが大野のままだったのか。中嶋を一軍登録していたのに何故出さない。後藤のツーベース後のイライラした場面で途中交代も可能だったのに。昨日の負け、キャッチャーが中嶋だったらしかたがないと納得できるのに。

 例えば、今日の試合。勝ち越した直後の6回裏からピッチャー交代で谷元。谷元は昨日、一死満塁から起用されて抑え、さらに次のイニングまで無失点で抑えたばかり。このようなタフなピッチングをした翌日に、連投させる意図が分からない。結果、今日は鈴木に逆転スリーランを打たれる。打たれた結果よりも、その起用に納得がいかない。本気で今日は勝つぞという意志があるなら、今日はセオリー無視でも宮西や武田久というカードがあったはず。何故、キャッチャー出身なのにそういう機微が分からないのか、となってしまう。

 つまり、見ていていつも「納得がいかない」のである。負ける時に「裏目に出てしまったが、それはしょうがない」という諦めをファンに与えることがない策ばかりなのである。

 これでファイターズは1勝3敗ペース。さすがにトップが責任をとらないと流れは変わらないだろう。早々に福良監督代行にならないと、今年のパリーグの優勝ラインは85勝ぐらいになりそうだが。

今年の野球の唯一の楽しみは

 梨田の早期解任。それだけ。

今日のファイターズ・増井はよかったよ

 増井投手はよかった。ただ、打線が杉内相手にチャンスを作りながら、いつまでも点が取れないという状況と、長打警戒しない川崎にホームラン打たれたのは不運だったか。
 それにしても、またしても肝心なところで守備の悪いことよ。高橋信二が情けない。

 あと、今日もキャッチャーが大野になってから試合が動いたのは、ただの偶然ではなくて、やっぱりリード面で問題があるのだと思う。去年のように勝っている中で鶴岡と併用でならば、恐いもの知らずのリードも生きようが、これだけ負けが込んでいるなかでは、やはりリード、配球が若すぎる。ヒットが打てなくとも鶴岡に試合を作っていってもらわないと、ますます悪循環になると思うのだが、梨田は鶴岡が何故お嫌いか?

何もかも皆なつかしい…ファイターズ

 中嶋さんを即一軍登録で武田久と組ませたところまではよかったんだけどねー、高橋信二がタイムリーエラーでまた負けが付いた久は、今日は気の毒。

 まぁ、タイムリーエラー2つで3失点はないわ。

 そういえば、昔はこんなチームだったよね。なつかしい気分だが、横浜からの移籍者が多くて、すっかりベイスターズ色に染められたかのような負け方。いやはや…

ドツボのファイターズ

 武田久の配置転換も、今日はウルフがやっちゃったね。ストレート系しかないのに、なんだか慎重になって腕が振れてなかったような…

 まぁ、それに加えて、大野のリードもどうだったか、というのは、ガンちゃんの解説どおり。こりゃ、やっぱり中嶋さんを抑えキャッチャーに据えないといけないんじゃないだろうか。ピッチャーも木田でどうだ?若いチームでこの雰囲気の悪さは、自ら負けを誘っているとしか言いようがない。ベテランが自然体で9回を迎えるしか解決方法がないと思われ。