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公共図書館の理想化、有料化、独立化と運営費獲得をとっちらかす

 ・「TRC・図書館流通センターはなにを考えているのか」(『ず・ぼん』(ポット出版)No.11)
 ・BizPlusコラム:片山善博氏「片山善博の直言・苦言・提言」第10回「図書館は民主主義の『知の砦』」

 どっちも少々古い記事ですが(特にTRC会長の話は何度かこの拙ログでも書いたのですが)、とりあえず参考に一部引用。

 石井会長「図書館というのは、行政に対しておかしいじゃないかという人間をたくさんつくる場所であって、行政監視能力も求めていかないと行けない。」
 片山氏「図書館が国民・住民にとって大切な事柄について常にバランスの取れた情報環境を提供する。そこでは、政府の一方的な情報ではなく、むしろそれらに対する異論や批判を含む客観的な資料や情報がことのほか重要になってくる。」「現在のわが国の政府と国民との間に見られる著しい情報格差を考慮すれば、図書館には敢えて権力への知的対抗軸としての機能を期待したい。民主主義を実践するには、この知的対抗軸すなわち「知の砦(とりで)」の存在が不可欠だからである。」

 とりあえず記事中の図書館=公共図書館、また片山氏の「国」に地方公共団体や各種公的団体を含んだ上で、公共図書館の究極的な役割はそこだということには同意したい。もちろん「究極的」であってまだ現実的ではなかろうけど、本当は核心的でなければいけないかなと。
 石井会長は指定管理者として、片山氏は(前)県知事としての発言と考えると、何だか「誰がこのような公共図書館の有り様を考えるべきか」の範疇からは本来外れているかもしれないが(図書館や住民ではなく、指定管理者や為政者がこういう思考を持たないとまともな図書館運営ができないということはある種滑稽ですらある)、業界内からあまりこういう類の話は発言力を持っては聞こえにくいので。

 ところで、図書館有料化や収益事業実施の議論の中で、公共図書館が上記のような役割を担うというのなら、図書館は自治体から予算配分を受けるのではなく、収益して自立するべきだというコメント(エントリだったかな…)をどこかで目にした気がする。個人的には以前から「税金で官や政に反駁する人間を養成する」システムは単純には成立しないだろう(つまり公共図書館とはこうだという理想に純粋に近付ければ近付けるほど官や政からの様々な圧力を被るようになり、図書館が立ち行かなくなろう)と考えていたので、実は公共図書館独立論はあながち明後日の方向ではないなと思った。ないなと思ったけど、日本の現状では独立行政法人化や指定管理者制度導入が図書館における独立的運営に繋がる可能性は現在のところ全くないだろうし(本当は図書館や公文書館がこういう制度により必要経費は官から保障されつつ運営は独立的になるという可能性が理論としては成立すると思うし、それは大変面白い話だと思うのだが、実際にはこれらの制度がもたらしているものは、即物的で近視眼的な事業評価を基にした人件費等必要経費の不当削減、施設設置理念の喪失、そして予算と評価を盾にした更なる官の関与でしかないので…)、収益事業や寄付による公共図書館運営の可能性にしても「当面無理」と考えざるを得ない状況であろう。正直、今の国や自治体以上の「金(・人・物)は出すけど口は出さない」パトロンや、独立的な運営を可能にするほどの収益事業を、安定的に確保することが将来にわたっても日本で可能なのかは個人的には非常に疑問があるし、図書館の現場が実施すべき「まともな公共図書館」に近づくための効率的な方策の方向は別にあると思っている(ただし知見の少ない私個人の感覚的感想でしかないので、学術的研究の俎上に載せた議論において可能性を示唆する論理の創出は期待しているのだが)。少なくとも、今の議論におけるサービス構想は「図書館が儲けるには」が前面に出過ぎていて(それが出発点だから仕方がないのかもしれないが)、「利用者に便利で快適だと感じてもらうには」という一番あるべき観点が不足していると感じるし、想定する利用者や環境が発言者自身やその周辺からあまり幅を持っていないと感じるから、私にはあまり現実感が持てないのだろう。

 それにしても何やかやと言われながらも公共図書館は、数多ある公共施設の中で最も住民や利用者に支持されている施設であり(もちろん平均してという意味で)、夕張市程度にならないと廃止されないどころかまだ新設がされているぐらいではあるが、こと図書館運営費は軒並み減少している。まぁ国も地方もお金がないから、とはいいつつも、「図書館には予算をやれん」というほど切迫しているかと言われると実は「そうでもない」のではないか。月並みに言えば贅沢に使い過ぎている事業が他に相当あるとは感じるが、それ以上に公共図書館運営予算の逼迫は実は自治体のお財布の中身が足りないからというよりも、図書館運営費は国からの紐付き補助ではなくせいぜい地方交付税の算定基礎にしかならないから、という要素が強い気がする。つまり、これは図書館運営にしか使っちゃ駄目よという条件での国庫補助制度であれば、地元負担が発生しようとも自治体は補助制度が許す目一杯まで貰うことを画策するため、これほどの削減には繋がらなかっただろうけど(ただし補助金行政はこれにより国が地方をコントロールすることになるので、図書館でこれが実現すると当然運営内容に国が強く関与することになる。公共図書館の性質としてはあまりよろしくない制度になると思われる。)、公共図書館は自治体が好きに使っていいよという地方交付税の額算定のための一要素(単純化すると図書館があればプラスいくらということ。もちろんそれは図書館運営可能な額という訳ではない。)でしかないので、自治体内での予算配分の折に後回しにされているということなのだと思う。もちろん自治体収入は減少し必要な福祉予算額が爆発的に増加しているのは事実ではあるが、一方では補助事業優先で予算編成するからその地元負担分で予算が膨れていることも事実であろう。自治体には国庫補助があるならその必要性や効果は二の次にとりあえず手を挙げ目一杯補助を受けるという体質が未だに強く、その補助枠を捨てて図書館運営などの独自事業に予算を回すということはあまり行われていない。結局、図書館を設置する話には国庫補助制度がある(ex.最近では公共施設を駅前設置すると補助率アップなので新設図書館の立地は駅前が多い。これなど国が補助金を使って地方を誘導している例。)から実現可能なのだろうし、事業自体が目立つことから住民の意見が大きくなるのだろうけど、作ってしまうとその運営費を減額というところは非常に住民には見えにくく(本当は利用者には他の予算に比べてよく見えるはずだけど…)、国庫補助もないから簡単に運営費が減額され続けているのだと思う。

 だから、いま公共図書館が目指すのは「減額された予算の自主補填」よりも、「役所内での予算獲得合戦」に参戦し国庫補助事業にも勝利することの方が現段階では現実的なのではなかろうか。もちろん施設内に喫茶店やレストランを入れて目的外財産使用料を取るぐらいは可能ならすぐに実施すればいいとは思うけど、それにしたって大義名分は利用者へのサービス向上であって運営費補填ではない。(もっとも入居業者のコンペや収益に使用料を連動させる工夫、また使用料を図書館予算にバックさせる仕組みなどはあった方がいいけど…)
 それにはどうすればよいかって?大きくは地方自治と公共図書館の関係考察、細かくは貸出による数字稼ぎと目立たず隠れずの反権力情報の収集提供の両立方法とか、自治体財政情報の提供方法と利用者や為政者の巻き込み方とか、財政当局へのねじ込み方とか、そもそも予算が貰えるような図書館に変貌しなきゃとか、まぁ考えられる事は色々あるのですが…とりあえず公共図書館に対しては「住民支持にこれ以上胡座をかいていてはいけない」とだけは言えるだろうか。これ以上は既に文章がごってりしてしまったので、今日はここまでということで。