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公共図書館さん、実戦的な援護理論は筑波大学からも降ってきませんよ

 公共図書館の必要性とか公共性とか有料化って話が再び一部で盛り上がってて、そういう議論はとっても有意義なんですけど、一方ではこういうレベルで論じられ出される理論は、現場ではかなり通用しにくいんだよね、と現場サイドの者としては少し冷めた意見も持ってます。
 もちろん、公共図書館とはなんぞや、から始まり、その目的や役割を説いた学術的な理論などは、自らの事業活動の根拠として当然必要なのですが、しかしそれを現場でそのまま使用するというのは無謀なことだよね、と。
 例えば予算要求において役所の財政担当と協議するときに、その辺の理論で事業の必要性を訴えたところで「何世迷い言を言ってるの?」で一蹴されるのがオチだろうし、「お前らのやってることなんざ無駄、無駄」と叫ぶ住民に対しても、どれだけ正論であろうともそういう論は恐らく通じないでしょう(感情論に終始するだろうことも含めてですが)。実戦的ではないとも言えるかもしれません。
 現場にいる者としては、そういう理論は大事に磨いて懐に忍ばせておきつつ、相手やシチュエーションに合わせて、時に隠し通し、時にちらつかせて使うもので、決してそのまま振り回さないという扱い方をするべきなのですが、どうにも現場サイドがこういう二面性を面倒に感じ、特に公共図書館は現場と学術が剥離して結びついていないのが現状なのかな、と。
 不要だ、有料化だと外野から根本的に攻められている今こそ、公共図書館にはこの二面性が必要なのだと思うのですが、はてさてどうにも現場者はネットでは少数派のようですからなぁ…