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少しはずった踵落しを懸命に言い訳する

 「個人情報は捨て、要らねという図書館運営には踵落としを」の続き。
 はてブで「そんな書庫の余剰は存在せず,改築は上が聞かない,が現実」(by myrmecoleonさん)というご意見をいただく。まったく、その通り。図書館に限らず、博物館でも公文書館でも資料の収蔵場所不足は深刻な問題で、基本的に時間と共に資料は増大するばかりだから、どの館でも早かれ遅かれ問題に直面する時期がくる訳で、でもこの時勢に新館や増築がおいそれとなされる訳もなく。
 前回のエントリーについて言い訳をしておくと、資料の価値(必要性・重要性)や収蔵場所の問題とは無関係に、ただ単に面倒くさい資料だという理由で廃棄や収集しないという行為だとすれば、そりゃ由々しき問題じゃないかいという意味で書いたもので。当然、書庫の収蔵能力や空きを考えない資料収集は浅はかだと思います。現に今の私の職場では、開館以来闇雲に資料収集し続けた結果、収蔵能力の2倍以上の資料が山積みされて、整理云々以前の状態となっていて大変苦労してます。一度目録化した資料は価値が著しく低いと思われてもまず廃棄できないし…廃校の校舎利用を申請したら、国庫補助金入ってて目的外利用になるから補助金返還を生じるとか言われたし…まぁ、これはこれで、先が見えてなかった前担当の愚行(新たな収蔵場所確保にも長年無関心だったことを含めて)だと思えてしょうがないんだけど。
 前に書いたような気もするけど、公共図書館等(面倒だから今後は類似施設も含めて図書館と書くよ)の資料の収蔵場所ってのは広さが有限であるという意味でも、建築及び維持管理に多額の費用が必要であるという意味でも、かなり貴重な公共財であることは館の内部・外部含めてもっともっと認識されるべきだし、特に図書館員は中長期的展望を持った有効活用にもっと知恵を絞るべきだと思う。ということで、図書館員は図書館資料として何が必要で何が必要でないかという、資料の価値や眼前の利用者要求だけではない、あらゆる側面(前回書いた将来の利用ということもその1つ)からの総合的な判断が求められるだろうし、そこに司書の専門性が存在するなどと考えておりまする(専門性の必要なケースの1つとして)。そんなん、学芸員やアーキビスト(何それ?って言わないで…分からなきゃこっそり検索して…)の専門性でしょ?と思われるかな。でもね、司書だってこういう能力が必要だと思うんだよね、現状では、特に郷土資料についてはほぼ公共図書館しかアーカイブ機能を果たし得ないんだし。当然、予算的(収蔵場所、人員の面)に全ての資料は保存できないというのが現実ではあるが、であれば尚のこと司書は取捨選択能力に長ける必要がある。ただしこの能力とは、たくさん貸出される本を選ぶ、あるいは読む価値ある本を選ぶ、というようなよく指摘される司書の専門性とはまた違った面も含めた能力を指してるつもりだけど。貸出・リクエスト偏重で司書の専門性が揺らいだという指摘があるけれど、(レファレンスなんかはちょっと横において)資料収集を要求論や価値論以外の観点でも眺めて、司書の専門性の不足をここでも指摘してみたいなぁと思いつきで考えてみたり。中長期的な視野を持つ館運営能力とでも言うべきか…昔の図書館ではこういう視点を持って運営していたのかなぁ…
 でも単純に溢れたらその分捨ててる、が現状なんだろうということは十分承知してますがね。