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むしろ活字離れは図書館生き残りのラストチャンスかも

 昨日のは茶化し半分で書いたというのに、結構な数のヒットがあったり、コメントやトラバもあったり、本当にお恥ずかしい限りです。自他双方の為に、そろそろ煽りのない「ちゃんと考えた」文を書かねばまずい時期に来ているのかもしれないなぁ。ここに書いていることは部分的に(意図したorしていない)誇張、矮小化、二元論化等々が施してありますので、書いたこと=100%現実の私が真に考えていること、ではないという「お約束」を理解していない人の目にも触れる可能性が高まってきたという意味で(そんなこと言ってる前に書き殴りをやめろと言われそうだが)。ま、幸いなことに今のところ不愉快な思いをさせられた事はないので、そういう事が起こったときに対処は考えるとして、もう少し好き勝手に書いていきます。

 さて、トラバをいただいた

 書評サイト Loud Minority 「図書館の中の人は出版不況怖くないんですか?」

 を読ませていただきました。図書館員は多分、活字離れに本屋さんほどの危機感はないのでしょうね。そこからブックスタート、読み聞かせ、小中学生に本読めみたいな子供に対する活動は熱心になってますけど、大人に対しての働きかけはほとんど見かけないし、活字離れが図書館存亡の危機に繋がるという思考はないんでしょう。それよりも資料購入という面で出版業界の動きに危機感というか、面倒くさいというか、そういう感情を持っていると思いますよ。本全体の売り上げ点数が落ち込んでいるというのに、出版される本のタイトルは逆に爆発的に増え、一部のベストセラーを除きすぐ絶版になるというサイクル。図書館にとっては購入予算が削られ、購入対象となる本のタイトルは増え、おまけにすぐ入手困難になるという点で危機感を抱いているんじゃないかなぁ…新刊の選書作業も大変になるし。それがいい、悪いは論じませんけど、図書館だけでなく昨今の出版業界側の本の扱いも消耗品化が進んでいることは感じます。
 あと、図書館が危機感を持って欲しいという点は同意見なのですが、その後の方向性として望まれれば貸本屋にもなって生き残るべきという点には意見を。私は公共図書館を無料貸本屋にするという(明確な)方針は、現在の多数の図書館利用者の賛同を得られるかもしれないが、住民の総意にはならないと考えます(図書館利用者というのは住民の一部であるため)。従って本気で図書館が無料貸本屋に突き進むとすれば、出版業界からの攻撃のみならず、図書館を利用しない人(納税者、有力者…と簡単に断じてはいけないが、多分行政に意見できる人は図書館を利用しない人の方が多いんじゃなかろうか、現状は)を中心に税の無駄使いと非難され、それこそ公共図書館崩壊というストーリーを想像しましたけど。まぁこのあたりは例の議論の図書館いらねの論理に近いかもしれませんが、今の図書館は地でこの路線を進んでいるように思えてしょうがない、だから図書館生き残りには貸本屋からの脱却が必要というのが私の思考でございますが、如何でしょうか。図書館が活字離れを本気で食い止められると思う方が思い上がりだろうし(これまでも書いてきたけど、本を読むという行為は個人的趣向の極みだから他人に強制するべきではないというのが私の考え)、むしろ図書館は社会変化に対応するためにも活字という媒体(特に文芸書という意味)のみに拘る運営からの転換を図るべきなんじゃないでしょか。そういう点で、実は活字離れは図書館にとっては生き残りに向けた(意図しないものも含めた)転換へのきっかけになると逆説的に思ったりなんかして。もちろん、今のままの図書館では崩壊要因にしかなりませんけどね。

 …えっ、TRCネタですか?すみません、それほど詳しくないもので、現役図書館員の方々にその辺はお譲りします(笑)。