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夕張市の図書館廃止に勝手に抗してみる

 ちょっと遅いですが、夕張市の図書館廃止についてつらつら。
 報道でご存じの通り、夕張市は財政破綻により財政再建団体となる見通し、その財政状況も過去の財政再建団体とは桁違いであり、こうなっては図書館や美術館だって例外とは成り得ないのでしょう。このような現実を前にすると、業界内で散見される上辺だけの「公共図書館は絶対必要、特別な施設なんだから」論なぞ、微力にもならないんじゃないだろうか。
 というところでしばらく思考が止まっていたのですが、じゃあ廃止でしょうがないね、で終わってしまってはほんとはいけない施設なんじゃないか、公共図書館は、という思いだけがくすぶっていたのです。
 で、数日間、足りない頭で考えたのですが、どうにもうまく論が整理できず、といってこれだけ考えて何も書かないでは無関心と同じかということで、考えたことをだらだら書いておきます。お目汚し、お許し下さい。

 まず、今回の財政破綻の責任はどこにあるのか、市長、市議会議員、市役所職員、市民と各論あるのですが、軽重はあれど全てに責任はあると思います。その中で、市立図書館の責任はどのようかと考えると、まず市の行政情報を積極的に収集、提供しなかった為に住民が市を監視する術を一つ潰していたこと、それから大局的な話ですが市に対して「おかしい」と言える市民を育成できなかったことではないでしょうか。市立図書館の実体を知らないので勝手な想像になりますけど、財政状況一つ取っても市はまともな財政資料すら公開してこなかったそうですので、況や図書館をやという気がします。で、行政資料の乏しい図書館、つまり地方自治の基本である市民が行政について把握するということができない状態、はおかしいじゃないかと言う市民もあまりいなかったということは、図書館は民主主義、地方自治を担うことのできる市民を十分育成(注:図書館が市民を育成するというのは奢りある言い方だが、少なくともこの地域ではそうでない市民からそうである市民に育てるべきであったと思ったので敢えてそう書いてみる)できなかったということなのだろう。もちろん図書館のみの責に帰する訳ではないが、一義的には図書館が担うべき役割じゃないだろうか。じゃ、何故公共図書館がそのように機能しなかったのか?………あまり露骨な言い方は躊躇してしまうが、やはり『市民の図書館』の負の遺産なのではないだろうか。もちろん、近くに大型書店もなく高齢者も多いという地域性を考えれば、眼前の市民の要求に応じた運営も必要であろうが、平行して自ら考え行動する市民の育成とその要求に応えるという本当の意味での「市民の図書館」たるということも忘れてはいけなかったのである。そういう意味で、財政破綻に対する図書館の責任というのは、相当程度重いと言わざるを得ない。
 では、そんな図書館は廃止してもいいじゃないか?ではいけない。過去の反省と大いなる転換は当然必要だが、まともな図書館として機能するようになれば、実は財政再建を目指すこれからこそ市民にとって途轍もなく必要な施設となるのである。情報公開による行政の透明性の確保と市民監視という観点のみならず、財政破綻により自らのことは自らやるという地方自治の基本に立ち返り、自ら考え行動することを余儀なくされた市民にとって、考えの糧となる資料を揃える図書館の必要性はとても高い。市がそういう考えで存続を決定し北海道や総務省と交渉すれば、私は図書館を廃止しなくても許していただけると予想する。存続となっても市は無い袖は振れないのは当然なので、市民自らがNPOやボランティアなどの形で運営していくしかないのだろうし、蔵書も寄贈頼りになろうが、今なら逆に知名度を活かして全国に呼びかけることもできよう。もちろん、ただお金無いから寄贈してください、だけでは矢祭町の真似だ、甘えるなと非難されるだけだから、市及び市民がここに至った過去を猛烈に反省すると共に、今後真摯に財政再建に向けて取り組む姿勢を示し、だから財政再建のために図書館が必要不可欠なのですという考えを明確に示した上であれば、おそらく賛同者を得ることができるでしょう。
 ……まとまらないのですが、こんな感じで。実際、図書館存続は難しいと思いますが、ただ単に図書館を無くすとは何事だ、と言っても意味はなく、財政再建に向けた中での図書館の必要性を訴えなければ万に一つの可能性もないわな、と思った次第です。それには、現在の公共図書館の機能と役割をやはり見直さなければお話にならないなぁ、ということで…一応、業界の動きに注目してみます、「図書館は必要です」と申し入れるにせよ、その論拠にね。