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正誤表で対応できるというのなら何故非公開?

 ・朝日新聞 「流山市史遠い公開 原稿改ざん問題」 (2006.10.15)

 県史や市町村史って政治的な検閲がある、ってのはよくある話(岐阜県も県史と御嵩町史の件が最近もニュースになっておったなぁ)だけど、今回の件で気になるのはやはり「図書館での非公開措置」。何が問題となっているのか、市民は図書館で知ることができないというのはあんまりじゃないか。図書館は公開はもちろんのこと、どこが問題となっているのかも整理して積極的に知らせるのが使命のはずだと思うんだけどさ、実際はとっても難しいというのもよく分かるけども。
 朝日新聞の報道なので、思想的な部分は殊更に誇張されているのかもしれないが、それにしても市の対応はちぐはぐ。少なくとも「印刷製本費は正当な支出」で「正誤表で対応したい」という主張なら、図書館で非公開にしていることと矛盾していないか。流山市立は正誤表の出された出版物は修正するまですべて非公開にしてる訳じゃあるまいし。
 世間一般ではそう思われていないだろうけど、図書館にある本は正しい本とは限らないのだ、図書館は所蔵する本の内容までは保証しない、そういう性質の施設なんだけどね。例えば右翼本も左翼本も仲良く並べておいて、どちらが正しい(納得できる)かは利用者が自分で読んで決める、そういうところのはずなのよね、図書館は。だから図書館はできるだけ多くの情報を収集して公開するのが役割で(あきらかなガセや偏向し過ぎのものは取捨選択する場合もあろうが)、特に今回のように話題になっている情報は積極的に公開しなきゃいけない、隠すってのは政治的に屈してるってことで、それこそ図書館の自由に関わる部分じゃないでしょか。ま、図書館自体に自覚がなければ、自由も何もないのですけれども…