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貸出しない公共図書館は無意味なのか

 元ネタ、調べが何もないまま、思いつきですが…

 都立中央図書館や国立国会図書館(公共図書館ではないけど)…根本から不要だと主張する人はごくわずかかな。
 じゃぁ、その他の公共図書館も貸出しません、となった時、住民からの大批判を受けることは必至だが、それにより全ての図書館は存在意義を失い消滅するのだろうか。すでに、貸出以外のサービスで生き残るすべはない状態なのだろうか…

 じゃあ、貸出の意義って何かなぁ(図書館サービス論のレポート題のようだが)。利用者に期間限定の独占的な資料利用権を与えるということ…は「意義」ではなくて、利用者のメリットか。でも、その裏でその資料が利用できない利用者が生まれていることって、図書館サイドは意識したことがあるのだろうか。実は資料が貸出中ではない状態で、図書館に存在している意義ってのも十分あると思うんだよね。(そもそも今の図書館のレファレンス資料の定義は狭すぎるんじゃないか、調べ物しに行っても分野によっては貸出中が多くて調べられないことが多いんだけど…)

 図書館で働き始めてすぐ考えてしまったことは、「その貸出の意味は何だ」(自分のいたカウンターは貸出してはいなかったけど…)ということ。いま、ここで読めるんだったら読んだらええやん、という発想は短絡的ではあるけど。本気で思っていたのは、絶版などの入手不可資料を除き、貸出禁止にすればいいんじゃないか、また、一定の所得以下の人にのみ貸出すれば、ということとか。

 …うん、図書館サービスの一つである貸出をそこまで敵視する必要はないことは分かっているさ。でも、現状と理論を鑑みるだに、「貸出のない公共図書館」を運営して成功させてみたい、という訳の分からないと言われそうな願望を抱くのでした。(いや、別に具体的に○○県図書館から貸出サービスを20年後に撤廃させてやる、って野望を持っている訳じゃないですからね…)