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本人訴訟と図書館

・読売新聞 「弁護士なし・独学の旭川国保訴訟、1日に最高裁判決」(2006.2.27)
・読売新聞 「たった1人の最高裁大法廷、国保訴訟の杉尾さん敗訴」(2006.3.2)

 司法方面には見識がまるでないので、裁判についてはコメントできません。本人訴訟で最高裁大法廷で裁判をしたことや判決の意味などについては、法科大学院生の友人たちに聞いてみることにします。
 今回気になったのは、特に裁判の知識を持ち合わせていなかったであろうこの方が、旭川市図書館で情報収集をされていたこと。
 もちろん、単純にすごいなぁ、という感想はあります。でも、図書館を活用すれば弁護士なしで裁判までできた=図書館万歳、という意見ではありません。公共図書館の役割からすれば、このような人々にこの程度の資料提供をすることは「当たり前」なのですから。変に浮かれた業界の人がいらっしゃるのなら、それは本業がままなっていないことの証ですよ。ビジネス支援を殊更に強調するぐらいなら、「行政訴訟支援」だって同列に扱って欲しいものだ(笑)。
 旭川市相手に訴訟した杉尾さん、最高裁までいっている裁判なので地元ではすでに有名人でしょう。で、そういう人だと分かってなお旭川市図書館は差別なく図書館サービスを提供したのでしょうか。言っている意味がよく分かりませんか?つまり、大雑把に捉えると、自分たちを訴えた敵にちゃんと「塩」を送れたのか、ということですよ。ますます分からない?
 例えば、杉尾さんから訴訟関係の資料についてリクエストやレファレンスがあったとする。さて、図書館は他の利用者と分け隔て無くサービス提供したでしょうか。当然提供したでしょ、と思いたいのですが、こういう時は大抵市役所のお偉方や市会議員なんかから圧力がかかってくる訳なのですよ。何故、市を訴えるための資料提供を市の税金を使ってするんだ、などと館長に電話がかかってきたりして。それに屈せず図書館サービスを「普通に」提供するには、実は図書館には強固な信念と意志が求められると思うのです。そのあたりの「微妙な」経緯にかなり興味があるのですが、館内で新聞取材をさせているのだから少なくとも利用者と図書館の関係は良好なんじゃないかな、と推測してます。私の目論見通りであるなら、これこそが「図書館の自由」なのではないでしょうか。図書館の自由って言葉、好きじゃないんですけどね、勘違いした解釈が蔓延ってて。

あきひろ 2006年03月02日(木)21:05

勘違いした解釈ってこのへん↓のコトかえ?
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4840233616/503-0303673-9689539
すいません、実はまだ10ページくらい本屋で立ち読みしただけなので、中身は詳しくしりません(^^;

tohru URL 2006年03月02日(木)23:23

いやいや、『図書館戦争』は結果として良質な業界パロディになっているのだと思います。著者は図書館業界人ではなく図書館利用者ですし。
この本を図書館原理の参考書として本気で捉える一部の業界人が「勘違い」しているのだと言っているのです。