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「公共図書館のボランティア的運営は…」のコメント

 「公共図書館のボランティア的運営は…」にいただいたコメントに対してのエントリ。直接的な返事とはならないかもしれませんが…

 アメリカをはじめ海外の公共図書館において、企業・個人寄付や住民主体のボランティア的運営で成功している例があるとして、それはその国において本当に一般的な事例なのか、そして一見成功していると見えるものに問題点はないのか、という疑問があります。私も海外事例についてそれほど多くの文献に当たった訳ではありませんが、いくつか読んだときに一部の事例をオーソライズして礼賛的に書き過ぎているのではないか、アメリカはここまでしているのに日本ではどうだという比較を主眼とするあまり、単なる差異でスルーすべき点まで対極にある部分を殊更に誇張しているのではないか、という印象を受けた事があります。反対に、日本の公共図書館の先進的事例として千代田区立図書館をアメリカで紹介するとして、日本の指定管理者制度は半官半民のいいとこ取りで、アメリカにはない素晴らしい制度である、という結論で締めることは、指定管理者制度の失敗事例や運営的問題点さえ持ち出さなければ十分可能な訳です。またこの不況下において、寄付やボランティアに頼っていた公共図書館がどういう状況に陥っているのか、あまり聞こえてきませんが大変なことになっているのではないかと予想しています(博物館では学芸員の解雇や作品の売却、閉館などという動きがあると新聞記事で見たことはありますが)。寄付についても、アメリカでは公共図書館の中立性がALAの強力な庇護によって確保されているとは思いますが、本当に色のないお金として公共図書館が執行できているのかを現場検証することも必要でしょう。

 ボランティアや寄付的行為を日本の公共図書館にもっと持ち込むことは、私も賛成ですが、それは「一時的な投資」か「ないよりはあった方がいい(言い方が悪ければ「プラスアルファ」の意と捉えてください)」部分、建物や設備の設置や現物資料の寄付、また資料費の上積み、資料整理や補修作業の労力提供などの部分であって、図書館運営の根幹業務に対する人件費や事業費、建物の維持管理費や公共図書館として必要最低限の資料費などの経常経費を外部資金に頼るのは、やはり継続性という点で公共図書館としての体をいずれ成さなくなる危険性が高いと思います。そこまで公が関与しないのであれば、私立やNPO立の図書館として存在した方が自由に制約もなく運営されるでしょう。もう1つは、今の公共図書館運営に関心が高く、指定管理者制度導入に反対する人々に仮に運営を任せたとしたら、どういう事になるかという危惧もあります。

 私は、別に日本がアメリカ的な公共関与を目指さなければならないとは思っていません。税金を納めてなお寄付をすることが当然となる社会でなくても、公が適正な課税をして適正に配分してもらった方が、個人や企業にかかる金銭的・精神的・労働的負担は遙かに軽減されると考えているからです。もちろん「適正」の判定とその確保は非常に難しいですが。ただ、これほど日本の公共図書館において指定管理者制度がクローズアップされているのは、財政難により公共図書館そのものが「ないよりはあった方がいい」レベルで認識されていたことが炙り出されている結果でしかありません。だから、いかなる制度であれ、公共図書館に適正な公的予算が回されなくなっているのであり(財政難と言っても図書館への予算的締め付けが他事業より厳しいのはこの理由)、その状態こそが「日本の公共図書館は貧しい」(もちろん予算的なだけではない貧しさを指す)と指摘したい部分です。自ずと、公共図書館が目指すべき方向はこれではっきりしてきたのではないでしょうか。

 ただし、公共図書館の再興を実現するためには、これからの司書こそ半ばボランティア的に働かねばならないかもしれません。例えば1000万円分の仕事を400万円の年収でしなければならないように。それは先人の負の遺産によるもので、これはこれで若い司書が先頭に立って批判するべきだと思いますが、一方ではそういう覚悟を持って司書になってほしい、間違ってもただ本が好き、図書館の雰囲気が好き、というモチベーションだけで司書になり、今の業界に無批判に染まるか、あるいは諦めて無気力になる者がこれ以上増えないことを、願うばかりです。