図書館

指定管理者制度で公共図書館が生き残る可能性はあるが…

 前回の続きといいますか…

 公共図書館における指定管理者制度の現状から、最終形へのカウントダウンが始まっているという少々極論的な感じで前回書きましたが、あの内容については実は半分本気で、半分まだ何とかならないものかと考えているのです。

 完全に指定管理者という立場で公共図書館の運営に乗り出したTRCについて少々考えていることがあります。司書の資質向上も目指すという図書館振興財団の設立は気にならないではないですが、漏れ聞こえるところではTRCの指定管理は「普通の公共図書館」レベルだと思われます。この「普通」というのが何に対してなのかは難しいのですが、対予算と言っても、対公共図書館のあるべき姿と言ってもいいのかもしれません。つまり、「普通レベルに達していなかった公共図書館」を予算を削減しつつ「普通の公共図書館」にした功績で、次々と指定管理者に指定されている、そういう事ではないでしょうか。
 だからと言って、TRCは大したことないということではありません。積極的に日本の公共図書館を「普通レベル」にしてくれているのですから。これは、多くの館で公務員経営ではもはや無理であったことなのでしょうし。

 さて、そこここでTRCが指定管理者になっていくと、効率化として物流も情報も中央(本社)集約型になり、そのうち配本だけでなくレファレンスや相互貸借、督促業務なんかも集約されるのではないかと予想しています。レファレンスの場合、その地方に固有のレファレンスでない限り、中央のレファレンスセンターで調べ回答するシステムができるのではないかと。ある程度の地域でまとまれば、郷土レファレンスも集約可能になるかもしれません。相互貸借も指定管理者となっている図書館間や本部保管資料で行うとか、督促も電話やメールであれば離れた所で集約して行う方向に行くのではないでしょうか。最終的には図書館では貸出のみ、その他の業務はセンターに、という完全な機能分担が図られる日が来るかもしれません。こうすれば、現場の人員削減を始め、予算削減はまだ十分に可能です。

 別にこれはTRCに限らなくても、例えばレファレンスなら直営・指定管理関係なく都道府県単位の構想として県と市町村でも可能なことでしょうが、とりあえずTRCの方が現実に近いだろうと考えたので、TRCが…と書いたものです。

 で、こんなことを書くと図書館関係者から総スカンを喰らうかもしれませんが、公共図書館が指定管理者制度の下で生き残る可能性は、TRCが握っているのではないか、と思うのです。あと5年や10年では無理かもしれませんけど、将来的にはTRCを指定管理者にすることのスケールメリットが、多くの直営やその他の指定管理者の公共図書館を凌駕していく、この展開がうっすらですけど見えるのです。

 これに乗っていけば、公共図書館はしばらく延命できるでしょう。しかし、これは今まで以上に「普通の図書館」を製造していくシステムです。地域性や独自性を十分に発揮した「味のある図書館」は決して生まれません。

 数は少ないかもしれませんが、すでに「味のある図書館」が財政難でこの方向に流されないこと、また「味のある図書館」が増えることを、私は切に願うのですが…何かが論理的に矛盾しているような気もします。

※TRCに関する予想はあくまで個人の感覚的なものですので、全然方向が違っていたらごめんなさい、です。

指定管理者制度導入は民営化にあらず、しかして公共図書館での実態は…

 「指定管理者制度導入≠民営化」は、「指定管理者制度と公共図書館への導入について」のレジュメでも、拙ブログのエントリでも、今まで強調して書いております。

 が、こと公共図書館においては、実例が重なれば重なるほど、「指定管理者制度導入=民営化」という認識が浸透し(しかも導入賛成派も反対派もほぼ同じような認識というのが何とも不思議な構図なのだが…)、更に悪いことに実態がその通りである例が多いようです。

 本来、指定管理者制度というのは、公の施設の運営管理を指定管理者に丸投げする制度ではありません。地方公共団体は、自らの施設としてその機能を発揮するために運営の枠組みや方向性を決定し、その実現のために指定管理者に指定管理料を支払って運営をしてもらう、指定管理者はその指定管理料(+入場料や施設使用料など)を元に地方自治体が目指す施設の実現に向けて、その専門性などを以って創意工夫しながら運営する、そういう制度です。

 指定管理者は、地方自治体から指名される時も、指名後も指定期間中は1年に1回(以上)、事業計画書を地方自治体に提出し、計画が承認された後でないと施設運営はできないのです。また事業終了後も事業報告書の提出と承認の手続きがあります。もちろん、指定管理者側からこういう施設にしたら如何ですか、こういう方向性は如何ですか、という提案に基づいて、地方自治体と方向性を探るやり方もあるでしょうが、基本は地方自治体がその施設をどう運営したいのか、いわゆるビジョンがないことには、指定管理者の事業計画や提案を検討することすらできないのです。

 しかしながら、実態はどうなんでしょうか…といえば、地方自治体がそんなビジョンを持っている施設なんてどれだけあるのやら、という感じです。おそらく、指名する時は指定管理料の安さで指定管理者を選定し、指定後は利用率、利用者アンケート、また外部識者による評価委員会などの評価を形だけ整えて、それほど悪い評価にならない限りは、指定管理の内容に興味はない、という地方自治体が大半なのでしょう。

 公共図書館でこうなるとどういう運営になるのか、というのはもう説明しなくても…ということなのですが、私は特に公共図書館の指定管理者制度というのは、最終形への一過程に過ぎないと思っています。地方自治体は財政難による経費削減策として、とりあえず指定管理者制度に飛びついている状態ですので、指定管理の内容なんて利用者や議員から苦情が出ない限り、気にもしないでしょう。しかしこのままあと5年も経てば、今の指定管理者の指定期間が終わる時期となりますが、多くの地方自治体は更に財政が苦しくて、指定管理料の予算も組めなくなるでしょう。そうして次の指定管理者のなり手がいなくなった時、果たして図書館をどうするのでしょうか?…つまり、先ほどの最終形というのは、指定管理者制度も維持できなくなって、廃止という選択をするということです。指定管理者制度というカードを早く切ってしまった地方自治体ほど、この最終形までの期間が短いのではないか、とも予想しています。

 一つ光明と言いますか、このような予想が外れる可能性が公共図書館には大いにあります。何かというと、公共図書館の廃止には、恐らく住民の反発が他の公共施設と比べて非常に強いだろうという要素です。これにより、政治家は簡単に図書館を廃止すると言えないのです。

 しかしよく考えてみて下さい。確かに廃止までには至らなくとも、指定管理者制度が維持できなくなった後に直営で存続するというのは、もはやそれは公共図書館の最低限の体すら成さない予算と人員しか用意できない状態ではないでしょうか。その状態も最終形と同義として差し支えないのかな、と思います。

 (いつか続きます…)

公共図書館はコモディティ化とポピュラリゼーションを履き違えた

 コモディティ化→高価な商品の低価格化、普及品化
 (コモディティ→必需品、日用品)

 ポピュラリゼーション→大衆化

 つまり、公共図書館はコモディティ化を目指さなければならないところを、ポピュラリゼーションと履き違えてしてしまったのだろう。
 その違いに気が付かない限り、指定管理者制度も委託も市場化テストも、攻めたところでまるで意味を成さない……と考える今日この頃。
 

次の世代の司書について

 前回の続き。ベテランの存在もさることながら、その後の世代に対するコメントをはてブでいただきました。結局、公共図書館は無料貸本屋という図書館観で育てられてしまった世代(特に『市民の図書館』が広く浸透した後に図書館を知った私のような世代(30代)以下)にとって、その公共図書館観を覆される機会は残念ながらほとんど用意されないまま現在に至っていると言っても過言ではないでしょう。そのような図書館教育によって形成された図書館像に憧れを抱く者が司書を目指したのだとすれば、貸出至上の運営に異議を持つことは、残念ながら世代的にも難しいのかもしれません。最も、司書課程の講義や実際に司書になった後の実務において、「気付き」があって然るべきだとは思いますが、司書は専門課程以外の大学で資格取得する者が大半であり、講師陣によっては自身の図書館観を強めるのみの教育しか受けられないケースがあること(筑波や慶応などの専門課程が公共図書館職員の供給源にあまりなっていないことも…かな?)、また現場でも貸出サービスに忙殺され、その数字で評価される日々を送る中で、その流れに逆らうというのもなかなか難しいという点で、個人の責任にのみ帰すには少々無理はありそうですが。
 まぁ、そうは言いながらも、貸出とリクエストに重きを置く業務の仕方というのは、司書として非常に楽に流れている、もっと言えば手抜きをしているのだということは、指摘しておきます。

 そういう意味で、これからの司書に向いているのは、実は本(小説)嫌い、今まで公共図書館に寄り付かなかった、そういう人物像なのではないかとすら思えます。もちろん、現場では本に詳しい者が必要であることは普遍ではありますが、そうでない者の視点(公共図書館について無理解な素人のという意味ではなく、理解の上でなお公共図書館を利用しようとしない者の視点という意味)を現場に持ち込む手段を考えなくてはいけないのではないでしょうか。今まで、いわゆる事務職員など司書以外が館長などの要職に就いていたケースが多いのですから、その役割を担うことは可能であったと思うのですが、実際問題としてどういう職員が図書館に寄越されたのかという問題もあって、結局は実現していないのでしょう。ビジネス支援などによる新規顧客の獲得も、利用者側からのそういう効果を期待した施策なのだとは思いますが、保守的に嫌われたり、また実施していてもこういう目的を理解していない館が多いこともあって、有効策となるにはまだ不十分なのが現状だと思います。

 こうなってくると、一体誰が手垢に塗れたこの図書館観を大きく壊すことができるのか、危機感を持つ一部の司書や研究者の動きには期待をしてはいるのですが、非常に構造的に根深い問題と言わざるを得ません。さて、どうすればいいのでしょうか……

強固な成功体験の壊し方を模索することが公共図書館には必要なのだろうが…

 1ヶ月ほど間隔を空けてしまいました。どこがdiaryやねん、って感じですが、いつものことですので気にしません(嘘)。

 昨日、訳あって某博物館に観覧目的で行きました。土曜日のうららかな午前中という絶好の条件で、広い館内で出会った来館者はたったの1組。まぁ、特別展開催中ではないということもありつつ、根本的にここは僻地の公園内にあり、かつ博物館入場者でも公園が駐車場代を取るという運営をしているという大きな問題がある訳なのですが。
 そんな中で、来館者より多いスタッフが、各々必死に接客しているのを感じました。もちろん接遇がいいというのもあるのですが、展示見てって下さいという雰囲気が感じられました。でも、来館者は少ない。

 スタッフのモチベーションはどこからのものだろうか(もちろん役所から収入が少ないと圧力をかけられていることは容易に想像できるけどそれ以上のものを現場からは感じたので)、と要らぬ心配をしたのですが、ふとこれで努力が報われて人が来たら、この上なく嬉しくなるだろうな(昨今の人気に媚びる展示企画が流行っている業界の傾向は気になるところだけど)と。

 で、はたと思い出したのは、かつて公共図書館で貸出に運営転換し、閑散としていた状況から劇的に利用者を増やした実体験を持つ、ベテラン司書達のこと。そりゃ、その後の司書では想像できないレベルの強固な成功体験として刷り込まれたんだろうなぁ、それは理論を大きく越えてしまうほどの、と思った。

 そういう人達が(言葉が過ぎるが)年寄りとして権力と頑固さを身に付けてしまったのが今の状態で、それはそれは簡単に覆ることがないのは、ある種当然の帰結かもしれない。今の公共図書館を変えようというのは、つまりそういう自然の摂理とも言える状況に挑むことを意味するのではないだろうか。もちろん、その人達がもっと若い時に成功体験を捨てることが必要であったことは言うまでもないが、今更非難しようとも何も変わらないので、敢えて深く言及しませんが…

役所の法令違反が、何故か「耳をすませば」、業界内の「相棒」との内輪話にしか聞こえなくなってます

 ・共同通信 「容疑者と被害者情報漏らす 報道機関に東金市立図書館」 (2009.1.24)

 日図協がソースだからなのだろうが、「図書館の自由に関する宣言」に反したことを問題にしているような書き方。

 守秘義務違反は微妙かもしれないが、少なくとも(情報公開条例以前に)個人情報保護条例に違反した行為であることは明らかで、任意の宣言がどうかよりも、市教育委員会が市条例を犯した事実の方が、はるかに重大な事項。まぁ、問題を提起した点では日図協の功績はあるかもしれないが…公立図書館の場合、個人情報保護条例がほとんどの自治体で整備されたのだから、「図書館の自由に関する宣言」の「第3 図書館は利用者の秘密を守る」は、条例遵守の確認程度の意味しかないのでは。

 また「報道側にも利用情報の扱いに対する理解が必要だとしている」という図書館関係者とは、日図協関係者なのだろうが、マスコミに自制を促す前に自分とこの業界内で何とかしたら、という感じ。単純に、こうやって法令を犯してまで教えてくれるケースがあるから、記者は聞くだけなんだよ。もひとつ指摘しておくと、今回の件で最初に漏らしたのは図書館じゃなくて教育委員会な訳で、これは日図協が、公立図書館を管轄している教育委員会に対する図書館についての理解促進を日頃から怠っていた証左でもあります。

 図書館業界団体であれば、もっと客観的でなければ。今回のような重大案件も、自らで業界内の内輪話に落とし込んでしまってますよ、これじゃ。

レファレンスカウンターの効率化とレファレンスサービスの拡充は同居しない…か

 前回の反省と言い訳。
 新聞記事にある窓口一本化に対する反論の反論だったものが、どうにも一般化させるときに「レファレンスサービスの縮小」のような印象になってしまったようで。レファレンスを内容で区分し、対応者を分けることで効率化を、という意図だったのですが…まぁ、レファレンス専用窓口の設置に意見するのは、ちと問題がありましたが。
 薬袋先生からは直接、レファレンスカウンター論争話も聞きました、メチャメチャ叩かれたことも(現役司書時代にカウンターで「何でもお尋ねください」札を出して上司に目を付けられたとかいう話も)。現状の貸出+レファレンスカウンターだと職員配置の点で非効率かつレファレンスが死んでいるという意味で、レファレンスカウンターを分離という論なんだと私は理解しているのですが、現状の公共図書館では、今からレファレンスカウンターを作って新たに正職員配置します、はもはや難しいのではという現実論から、利用者にレファレンスサービス利用を喚起し、気軽にサービスを受けられる方策を十分取った上で…という意図です。都立のようにレファレンス窓口が明確にされていれば、そこに派遣スタッフがいる体制でもいいのではということであって、貸出手続きでばたばたしている職員がレファレンスを受ければということを考えている訳ではないのですが、説明不足でした。

 というかはてブコメントを見ていて意外だったのは、カウンターでカウンター業務以外を普通にこなせるものなのかぁ、あるいは単純作業以外のカウンター業務量が結構あるのかぁ、ということ。自分は専門セクションだったので特殊なのかもしれないけど、当番的にカウンターにいると、パソコン持ち込みで仕事していたものの、利用者があるのであまり資料をみっともなく広げて…もできず、個人情報など内部情報の取り扱いもできずで、結局無難な書類作成などをしていても、コピーサービスの対応やブックディテクションゲートの警報、トイレや館周辺の案内などで頻繁に手を止められるしで、満足にカウンターでカウンター業務以外の仕事ができたことがありません。だから、いつもカウンターに出る度に、これさえなければもっと企画的業務ができるのに、と考えていたのでした。館の性質、規模、利用者密度によるのでしょうけど…

 昔の話でうろおぼえなのですが、貸出1冊のコストは数百円、でもカウンターの職員に尋ね事をすると1回当たり5,000円…とかなんとかという試算の記事を見た記憶があります。もう少し、職員に対する業務配分を効率的にする方策はあると思うのですが…単なる所蔵確認や館内案内などと、込み入ったレファレンス対応を同じ単価で実施する合理性はないというような感じで。
 あるいは、正規と非正規の業務内容と賃金の不均衡を是正することも何とかならないものかな、と思います。図書館業界だけの話ではないですが、公共図書館での不均衡って(特に自治体を超えて比較すると)相当なものがある気がします。館内だけでも、何故、その業務担当が正規か、非正規かの理由とその妥当性がかなり曖昧なケースが多いような。司書のモチベーションが「非正規>正規」っていう例が往々にしてあるというところに、問題の根源はあるのですが…

図書館において最も効率の悪い部門は?

 ・毎日新聞 「都立中央図書館 新装開館に未来の姿を探る」 (2008.1.8)

 図書館において最も効率の悪い(費用対効果的に)部門はどこでしょうか?…そりゃ吹きだまり人事の館長と総務…えふん、えふん、そういう悲しい実態は置いといてです。
 司書自身が最も重要と考えているであろうカウンター業務、それもレファレンスカウンター業務ではないでしょうか。まぁ、貸出返却の単純作業を正職員がしがみついているケースはもはや想定しませんので、貸出カウンターは低コスト高利用であることを前提としますが。
 レファレンスサービスの利用が低調であるという問題もあり、また各館によって実情はそれぞれとは思いますが(貸出とレファレンスでカウンター要員を分けられるのは一部の大規模館だけでしょうし)、一般論として正職員がカウンターに常時張り付く事自体、高コストであることはもちろん、カウンターに居なければいけないという点で、業務効率そのものも非常に悪くなる(カウンターに出ない状態と比較すれば)と思われるからです(一応、自身の経験から)。
 カウンターに寄せられるレファレンスのうち、非正規や委託先職員では簡単に答えられないもの、つまり専門性を要求されるものの割合はそれほど高くはないのではないでしょうか。その頻度の低いレファレンスのために、正職員をカウンターに必置とすることは無駄が多いと思うのです。そもそも、高度なレファレンスであれば、カウンターで即答できるものではないのだから、別に対応者が端からカウンターに居なければいけない理由も薄いのでは(端から対応した方が利用者からしてみれば重複説明が要らないというメリットはありますが)。
 ということで、レファレンサーなどの正職員はカウンターではなく、バックヤードに居て、時々要請に応じて表に出てくる方が効率的に仕事ができるんじゃないか、ということです。もちろん、カウンターが貸出だけにかまけてレファレンスする雰囲気でないとかいうのでは駄目駄目なのですが、「貸出+レファレンス受付」カウンターとして、気軽にレファレンスもできる状態であればいいのでは。
 正職員がカウンターに固執することは、図書館業務の非効率化を意味しているんだよね、その給料に見合う業務はカウンター以外にあるんじゃないの、というお話でした。

公共図書館サービスを来館者アンケートで計る危うさ

 ・大分合同新聞 「評価まずまず  県立図書館の満足度調査」(2009.1.16)

 もちろん、サービス改善に利用者アンケートを実施することを否定する訳ではありませんが、それのみを頼りにするのは(どの公共施設でもそうですが)非常に危険で、かつよく陥っている状態ではないでしょか。

 先日、薬袋先生から「図書館の入口には、飲食店のようにメニューを用意しないと」という話を聞きましたが(この図書館ではこういうサービスをしています、が入口で分かるようにしなさいという主旨)、公共図書館の現状を考えると、個人の来館者にのみアンケート調査するということは、「メニューはないけど客は口コミで牛丼屋らしいと認識している店で、何を食べたいですか?どうしてほしいですか?といきなり聞く」ようなもの(もちろん「牛丼」=「貸出」。例えが下手すぎ?)。牛丼を食べに来た客にアンケートしても、「牛丼を食べさせろ」「牛丼をもっとうまく、安くしてよ」という回答しかないのは当たり前。でも、実はその店は総合レストランで、和食も洋食も中華も一通りあって(牛丼以外が不味い店が多い気もするが)、人員や設備投資などその為の体制をとっている。でも、メニューが提示されていない。せいぜい、一部の店で弱々しく「牛丼以外もありますが…」と店員がぶつぶつとつぶやいている程度。
 さて、この状態で上記のようなアンケートで分かるのは、牛丼屋としての評価であって、レストランとして如何なんて分かる訳がないのです。だから、このアンケートのみを頼りにサービスを改善し、運営していくということは、「客受けする牛丼屋になる」ということなのです。儲かる店かどうか、営業が継続できる店かどうかは知りませんけど、現在の顧客の多くを満足させることだけはできるでしょう。

 だから、せめてメニューを提示してから、アンケートはするべきではないでしょうか。まして、公共図書館は普通の飲食店と違い、すべての住民が出資者なのですから、来店しない人の意見を聞くことも重要です。

 そして、県立図書館であれば、真っ先に意見を聞くべきは県内の市町村立図書館等ではないでしょうか。県立図書館が今の来館者にのみ擦り寄れば、地元の大きな市立図書館にしかなりません。県立であることの意味は、県立図書館自身が根本的理念として据えておかない限り、誰も指摘も喚起もしてくれないのですよ、残念ながら現状では。県立図書館がでかい牛丼屋に看板を掛け替えた途端、じゃあカウンターだけじゃなく運営全てを、全国的に実績のある吉○屋に任せればいいじゃん、で立派なチェーン店のできあがり、というストーリーが見えるのですが。

雇用対策で図書館業務を宛てがう理由は?

 非常にセンシティブな話題になるので、エントリにしようか、しまいか非常に迷ったのですが、派遣等の非正規労働者や障碍者に対する差別意識や差別する意図は全くないことを最初に宣言して、書かせていただきます。

 特に最近は「派遣切り」対策として自治体が臨時職員として雇用するという事例が多くなっているようですが、気になっているのは、その業務内容として図書館での資料整理等が多くの自治体に共通していることです。以前から、障碍者雇用として自治体が採用する職員に、そういう図書館での業務を想定している事例が多いという印象を持っていたこともあり、今回新聞記事で見かける度に注目してしまいます。

 重ねて誤解のないように書いておきますが、そういう人たちの雇用の場に図書館を選ぶなと言いたいのではありません。確かに図書館業務は、役所の他のセクションと比較して、専門性や必要な知識技能に応じて業務を分離選別しやすいからという側面はあると思います。ただ、そういう図書館業務の性質や内容を精査した上での話であればいいのですが、自治体が図書館に対するイメージ(ex.本を貸す為だけの単純業務で、そういう人たちを受け入れる余裕がある職場)先行で「図書館にでも」と決定した話だとすれば、それは自治体の図書館に対する認識という点で憂慮すべき事ではないでしょうか。

 実際にどの公共図書館も、このご時世人手は不足しているでしょうから、単純作業だけでも従事してくれる職員を受け入れるだけの仕事はあると思います。マスコミも業務例として図書館を出すと分かりやすいという点で、実態以上に強調されているのかもしれません。図書館が他のセクションに比べて、幼稚園・保育園児から小中学生・高校生の職場体験や職員研修の場に相当なっている事実も、ひねて捉えすぎているからかもしれません。ただの杞憂ならいいのですが…