No.608の記事

指定管理者制度から見る公共施設運営の真の問題とは

 ・三菱UFJリサーチ&コンサルティング サーチ・ナウ「指定管理者制度における官民意識の『ずれ』」(2009.11.16)

 日付は少し古いが、最近目にしたので今更ながらエントリ。指定管理者側からの視点で、単文ではあるが、指定管理者制度の問題点をよく突いていると思う。

 制度導入の目的は、これまでの個々の事例でほとんど明示されることはなかった。腹の中で行政側はコスト削減を第一に考えているのは明々白々ではあるが、これを小出しにしつつ、民間企業のノウハウによるサービス向上を前面に掲げてきたのが現状だ。しかし、ここで指摘のあるようにサービスとコストのバランスが均衡してきた中で、その相反する関係性と問題がようやく表出し始めてきたのは事実であろう。

 また、丸投げなど行政側の当事者意識の欠如もやはり大きな問題である。そもそも、その施設管理の知識・経験がない、すなわち当事者意識を持ちようもない職員や部署が指定管理者を管理する体制を敷くことに対する問題点は、僭越ながら私も図書館の例で以前から指摘してきたところだが、例えば先般の浜名湖での痛ましい事故でも、これまでの静岡県の態度は、指定管理者に大きな責任があるというスタンスのようだが、あれは県の施設で起こった事故であり、一義的に責任を負うべきは県のはずであり、残念ながら当事者意識の欠如が如実に見られる事例になってしまっている。今回の事故は指定管理者に責任がないとは思わないが、その前に県には、制度を導入した責任、当該指定管理者を選定した責任、指定管理者による運営内容の把握と適正化を図れなかった責任(仮に指定管理者が運営計画と実態が剥離していたとしても、それを放置した責任はより重かろう)が先にある。行政の当事者意識の欠如は、指定管理者制度自体の欠陥ではないが、実質上の大きな問題点として挙げられるべき点である。

 3つめについては、私には可否判断が難しいところではあるが、公共施設で民間企業が儲けることに対する嫌悪的感情をもって制度導入に原理的に反対することは、制度を全く理解していないことを自ら公言していることと同義であることだけは明らかである。少なくとも指定管理者制度について意見を持つのであれば、前提として制度に対する最低限の理解は必要で、それなくしての意見にはまったく正当性を持たなくなるのは、未だに「民営化反対」と叫ぶ団体を見れば明らかである。

 最後の「指定管理者制度は、今まさに岐路にある」というのは、確かにそうであろう。しかしこれは指定管理者制度の設計の問題ではなく、制度自体を正しく理解していない行政と住民によるものである。本来の指定管理者制度の問題点はもっと別にあると思われるが、その問題が表出するに至らない段階で上記のような実務上の問題が噴出しているのである。よく考えると、指定管理者制度に関しては実に行政運営が幼稚であると言わざるをえないが、これは行政自体のレベルが低いというよりは、公共施設の運営に対する行政内部の重要度があまりに低いことに原因があると思われる。結局のところ、この行政の施設運営軽視の態度こそが一番の問題であり、施設を守るとして指定管理者制度導入に反対するのであれば、この視点からの論陣が絶対に必要であることを提案しておくが、恐らく知識の蓄積場たる公共図書館に関してすら、このような反対論の構築がなされないであろう事は、無料貸本屋たる公共図書館の現状容認派が反対することを考えると容易に推測されるが、いずれにせよ本当の敵は指定管理者制度でないことは確かである。私が「民営化反対」論を見るにつけ、いつも違和感を感じかつ鼻白んでしまう要因は、この「的外れ」なのであろう。