その他

とうに明けましたが

 今更ですが、明けましておめでとうございます。旧年中は大変多くの方にお世話になりました。

 今年は昨年と違い、平々凡々、変化の少ない年になりそうな予感がプンプンしておりますが、ネットではもう少し「広がり」をテーマに、少しでも動くことが出来たらなぁ、と考えております。

 どうぞ、今年もよろしくお願いします。

とうとう、県が勝手に学力テストの平均点を公表したか

 読売新聞「全国学力テスト結果、秋田知事が全市町村公表」(2008.12.25)

 以前書いたここここの通りの事態というだけのことで、今更にして驚きもしないが、端的におかしなところだけを指摘しておきたい。

・平均点だけの公表では何の分析もできない。また、平均点だけとしても、平均点の悪い市町村へのフォローの方策は不明なままである。分かっているのは、これを機にテストに参加しない市町村に対して知事が恫喝するであろうことだけ。

・自らの価値観のみを絶対にして、脅しに屈しない市町村に対して暴挙に出たこの知事に、地方分権なんて語る資格がないことは、重ねて指摘しておく。

・1つしか学校のない町村まで公表するのであれば、全ての学校の結果を公表しないことは不合理。

橋下がまともに見えてきた

 どうやら、トップシークレットで施設潰し作業を進めているとか、という噂を聞く。

 本当だとしたら、堂々と廃止を宣言して事に及ぼうとしている橋下が、ものすごく真っ当に見えてくるのだが。

 これがすんなり議決されるようなら、もう本当に先はない。

不等価交換を2年連続でするとは…

 サンスポ「マイケルと二岡、2対2の大型トレード合意!」 (2008.11.11)

 去年も今年もトレードが下手過ぎ!
 …ファイターズファン復帰じゃないんだけど、思わず。

今年は目の前で胴上げを見なかった2年ぶりの日本シリーズでした

 今年の日本シリーズ、全く期待していなかったけど(どちらかが一方的に4連勝するんじゃないかと思ってたので)、試合自体は最後まで非常に面白い展開で、ライオンズの日本一。

 ホームランもさることながら、片岡の足は本当にすごいよ。シリーズだけなら、平尾の意外性とか岸の目の覚めるような投球などありましたけど。

 …それにしても、一年間、デーブの目に余る陽動作戦とテレビ写りだけはなんとかしてほしかった。来シーズンに向けて要改善。

学力調査の結果を公表するに必要な前提

 前回、あまりに左巻きな事を書いたが、あいつはコミュニストと断じられるのも癪なので、一応のフォロー(?)をしておきますと…

 学力調査再開の背景は前回書いた通りだという思いはその通りで、そんな思惑で年間60億円かけて調査するのは、国の危機的財政の折りに「無駄」だとは断じたい。
 ただし、学力調査結果を公開前提で実施し、かつ「唯一でない」(しかも平均点のみではなく)指標として公開し活用することにより、現状の教育を改善していくという方向であれば、調査は非常に有意義なものになろう。

 問題はどの方向に向けて改善していくか、である。現在の議論でも平均点だけが一人歩きしているが、平均点の上昇という結果を求めるにしても「底辺群の底上げにより平準化」、「真ん中から上の群を伸ばす」、「上位群を積極的にサポートする」(ここでいう群は児童生徒分布だけでなく、学校分布、地域分布などの意味も含みます)など色々な方法がある。多分、一番効率的なのは第2案だけど、現在話題になっている人たちが求めているのは第3案だろう。でも、一番効率が悪いけど公教育に求められるのは第1案(or第2案併用)。第3案単独はいわゆる教育格差の助長につながるので、本来なら公教育の趣旨から一番遠いはずなんだけど…(あれ?やっぱり左に寄ったか?)。まぁ、平均点とか偏差値の嘘は統計を少しかじれば分かるのですが、それが為政者含めて一般には理解しようとしないところ。平均点が一人歩きすることは確定だろうが、平均点を上げるにも分布をどうするのかの方向性が重要にもかかわらず、このままではこの点は軽視(あるいはあえて無視)されるのではなかろうか。平均点が上昇し、周辺より上になることのみで「努力した」「がんばった」と学校や教師の評価に直結させることは、非常に危険だ。各地域、学校により事情は千差万別であり、どういう結果が良であるかは各々違うはずである。今でも点数のために問題漏洩まがいや一部の児童にテストを受けさせないという、実に小賢しい手段を取る学校があるぐらいである。現状のまま学校別平均点まで公表することが何を引き起こすのか…である。

 ちなみに、公立の小中学校なのだから、結果公表により学校別の序列がついたところで、通学する学校は住居地で決まるのだからそれほど競争激化に繋がらないだろう、という意見もあると思う。しかし、ちゃんと教育委員会不要論派は学区自由化を推進している。もちろんいじめや不登校などの問題解消の一助になるという効用はあるが、これと学校別の学力調査結果公表が結びつくとどうなるか。そう、より明確に公立小中学校は学校単位で学力別に選別されていくのである。この状態で「がんばった」学校に予算を集中させるのは、前回書いたとおりのシナリオなのである。

 予算を盾に市町村別の結果公表を迫るということは、意図せずとも公表に前向き=点数のよい市町村に予算を傾斜配分させる結果に繋がる。この考えが市町村内でも共有されれば、それは学校別に傾斜配分させることとなろう。果たしてこれが公教育の改善と言えるのだろうか?少なくとも公立の小中学校では、環境(社会、家庭、学力etc.)の異なる者との接触により社会の多様性を認識する場であるべきだろう。公立小中学校が、無菌状態のつまらぬエリートと、ただ社会に従順なその他の人間を養成する機関になり下がってどうすると……げふんげふん、キーボードが滑った、滑った。つい教育学のレポートでも書いているような気になってしまった。

 私は、結果公表の前提として、学校別まで公表することを調査前から明示した上で、文科省や各自治体が「成績の悪い市町村・学校に対して予算・人員を傾斜配分し手厚くフォローする」ことを確約することを提案したい。これなら、地元住民の目があるので予算や評価を目当てにあえて悪い点数を目指す輩もほとんどいないだろう。もちろん、点数が悪いまま何もしない学校や教師を助長したいのではない。平均点だけでなく対前年比や成績分布、そして現場状況を勘案し、公正に学校や教師を評価するシステムを確立することが必須である。当然これが一番困難な事だとは思う。これが平均点による序列という楽な方向に流れていく要因なのだろう。それでも、教育の困難な底辺層をまともに教育することで学力も底上げできる学校・教師こそ、公立では評価されなければならないのではないだろうか。

学力調査の結果公表とバウチャー制

 しつこいけど、西の例の人の話を続ける…と思ったら、何やら同調して鳥取県や秋田県も勝手に結果公表するとか、市町村が結果を開示しなければ予算やらないと恫喝、というところが複数になってきたとか。いやはや、もうこの人達は地方分権なんて口が裂けても言わないでくださいね(秋田県知事なんて今の知事会は国に対して地方分権論に突っ込まないなんて批判して大見得きってたのにね、結局自分の権力のための主張だったんだな…)。

 学力調査の復活は、教育バウチャー制度の推進派である安倍の布石だったのだが、調査結果を公表しないなんていう前提は端から嘘だったのだと思う。バウチャー制度は成果の挙がる学校に予算配分することを目的にしている以上、調査結果を公表することが前提の制度なのだから。調査を再開することで、結局は結果公表の社会的圧力が高まるであろうこと、いずれは文科省や教育委員会がこれに屈して学校別のレベルまで公開せざるを得なくなること、これを公開したことにより成績のよい学校に予算を集中させるようになること、とここまでを読んだ上での調査復活だったのだと、私は思っている。だから、現在市町村を恫喝している首長は、知ってか知らずかこの路線に忠実に従っていることになる。決して、成績の悪い学校を重点的にフォローする結果にはならないであろう。何しろバウチャー制度を推進してるのは経済界であり、その目的はエリート養成に公共投資を集中させたいから…

 …って随分左寄りなことを書きましたけど、教育に関してはこの解釈に同意しておりますので。つまりバウチャー制に賛成できないなら、端から学力調査なんて再開しちゃダメだったのだろうと。こと教育政策というのは長年影響を及ぼすだけに、教育制度に対する切り崩しに成功した安倍の亡霊は、いつまでも生き続けることになりかねないのが恐いところだ。

 余談だが、Wikipediaによると例の人は知事になる前に「社会に出ると何の役にも立たない学校の勉強(英・数・国・理・社)は重要なものではなく、学校で詰め込むべきではない。また、これらの勉強は大人になってからでも、本人のやる気次第で十分習得出来る。現在の学校の勉強とは、受験のための手段に過ぎない。真に必要なのは『人の上に立つ学問』ではなく『人の役に立つ学問』である。学校で最低限教えるべきなのは読み書き、そろばんと、目上の人間に対する礼儀だけでいい。子供に無駄な知識を強制的に詰め込み、それで優劣をつけるような教育をすると、人格が歪んでしまう。」と宣ってたそうな。このポリシーが今でも変わっていないのだとするならば、昨今の言動は支持母体である経済界の差し金で操られてるだけということとなるのだが、さて…

最高の歳出削減方法とは

 昨日の続きメモとして…

 実に簡単なことである。財源と職員共々、市町村に大幅な権限委譲をするだけのこと。
 結局、市町村には行政能力がないという前提で仕事を抱え込んで「金がない」と言っているのだから、教育も文化も含めて「緋のない補助金」と「税源委譲」と「職員の移管」を伴った権限委譲をすればいいだけのこと。
 当然責任も委譲すればいいではないか。言うことを聞くとか聞かないとか、テストの点数が良いとか悪いとかのくだらない心配なんてしなくてよくなるよ。「財政と責任の分散」、都道府県の最高の歳出削減方法だと思うがなぁ…

 どうにも都道府県は国に地方分権と言いながら、自らの歳出削減策にこの視点があまり含まれないのは、どういうことなのだろうか、と思う。
 もちろん単なるお荷物だけを市町村に押し付けるだけの手法は地方分権でも何でもないし、まして市町村を補助金で統制しようとする者は地方分権とは無縁の者であることは容易に断定できる。そこまで極端でなくとも、真の地方分権を考えている都道府県か否かはここを見れば判別できると言えようか。

 まぁ、その前に「何故そんなに財政が赤くなったのか」の検証と反省がない事の方が大きな疑問なのだが。ただ「金がなくなった」から我慢しろでは、説得も説明もあったもんじゃないが、何故かこの手の議論には都道府県は常に「前向き」である。不思議。

西の方の例の知事の盗撮のこと 2

 あまりに小さなことなので、前エントリで書くのを忘れてしまったが、私も指定管理者側にいたときに、覆面調査なるもので非常に不快な思いをしたことがある。

 調査に来たのは面識のない自治体の職員であったが、後日調査員の意見として「床が汚い」「書架の並びが乱雑」というのが示されたが、折しも調査員が来た時は床掃除直後で書架整理直後であったので、現場を再確認した後に「床は築後30年経って確かに傷だらけで掃除では取れない汚れもあるが、運営予算を考えたら補修するレベルではないこと」と「書架は十進分類法に沿って並べられたものでシリーズ毎や本の大きさ毎に固められる訳ではない、ただし大型本は入りきらずに横になっている場合があること」という意見を付けて、調査員にもう一度意見の詳細を聞いてほしいと自治体側に申し入れたが、無視された挙げ句に評価委員会上でそのまま減点対象として提示されたのである。
 その他、建物の設計上、スタッフのプライベートゾーンと利用者のパブリックゾーンの分けが一切無い状態であるにもかかわらず、「利用者が通る廊下からスタッフの水場が見えて見苦しい」が減点意見として出されたが、上記も含めてこんなん自治体側の責任のはずなのに、何故か指定管理者の瑕疵であるかのごとく「嵌められた」のである。

 そのときの自治体側の担当者は、ちょうど例の人によく似たファッショな人だったことよ。だから、あの報道にはちょっとした義憤を覚えたのだ。ほんと、小さなことですみません…

西の方の例の知事の盗撮のこと

 あんまり明記するとめんどーなことになりかねないので、分かる程度にぼかしますけど…

 なにやら自分とこの廃止したい施設を盗撮(?)して扱き下ろしたとか。私設秘書に施設内で無断でビデオ回すことからして問題がある(利用者のプライバシーや肖像権の侵害とか、詳しく調べてないけど利用規則違反とかな→教育委員会施設だから知事に規則越える権限もないぞ)気はするけど、何が何でも廃止させるという目的での計画的言動だと仮定すると、この事自体よりも、廃止することの是非の方を問題とするべきなのだろう。
 詳しく調べる気にもならないが、その自治体がよく言われているように危機的財政であることが正しいとすると、施設廃止の目的は歳出削減の一点であるはずである。ということは、「金さえあれば廃止しない」が金がないので廃止(もちろん施設の目的が全く意味なしなら金があっても廃止するべきですが)ということのはずである。そうであれば文化的施策はもっと充実するべきと個人的に考えている私にも、その方向は致し方ないなと思う。図書館にせよ美術館にせよ博物館にせよ、住民の原理的な「必要不可欠」施策ではない(注:個人的思考ではなく社会的な視点でという意味ですが)ので、本当にお金がないのならこれらは廃止することもあり得ると考える。その目的のための今回の事なら、筋は悪いが1つの方法として是認される余地があるかもしれない。(これは皮肉でも何でもなく、前提さえ合致すれば本気でそう思っている)

 しかし、果たしてそういう事なのだろうか?金があったとしたら例の人は同じ事はしようと考えなかったのだろうか?非常に疑問を感じるのだ。結局「金がない」のは自分の思想信条を突き通すための手段であって、個人的に相容れないものを排除することが目的なだけなのだろうとしか思えないから、今回の一件も程度の低い「ファシズム」としか受け取れないのだろう。

 本当に金がないのなら、政策の最大の判断指標は「金」であり現在の財布事情であるべきで、公共工事や火急性のない大型プロジェクトから削減するべきだし、路線削減のあの空港の方だって廃止を唱えるべきだし、万博出展やイルミネーション事業とかの必要不可欠でない事業も「強行に反対」するはずであるが、むしろこれらは推進することしか考えていないようだし、三セクで大赤字を出している某ビルに庁舎移転する話にしたって、現在の庁舎補強・建替で以前より安い案を提案した執行部に対して「自分の案への妨害」と検討すらすることなく以前の案に戻させたところを見ると、結局は自分の思い通りにしたいだけなんでしょ、ということで確定だろう。

 国に対して地方分権と唱えている事も、市町村の教育委員会に対して生放送で「くそ教委」と放言するところからして、地方に権限が欲しいのではなく、個人的な自分に権限が欲しいだけで、地方分権論者でも何でもないと考えざるを得ないわな。

 私はそこの住民じゃないので勝手に書きますけど、「あえて悪者になって」財政再建をしてくれることを期待して有権者は投票しただろうに、結局は立派なスタンドプレーだけで中身は大した財政再建策を提示することなく(注:文化施設廃止とか職員給与カットという民衆のカタルシスを掻き立て且つ一番簡単な方法でいくらかの削減はしたようだが、実に短期的・短絡的な手法であって、長期的に見れば人材的・財産的「損失」であるこれを財政再建策とは認められないと思う)、個人的な思想信条の実現にのみ邁進する姿をどう見ているのかな、と要らぬ考えを巡らせてしまいます。もちろん地方自治は民主主義の縮図ですので、外野がとやかく言う資格はありません、住民がどう考えるかだけのことなのですけど…こんな状態であういう施設を潰すのは「くだらない」です。