No.312の記事

書店に「ないない」、図書館に「あるある」が当然

 ・佐賀新聞 「「あるある本」撤去広がる 図書館は貸し出し継続」 (2007.1.31)

 書店の返品が始まったときに誰かがブログで「で、図書館は?」と書いたのを目にしたときに、「あぁ、やっぱ公共図書館ってそう思われてるのね」と苦笑いをしたんだけど、後日こうやって新聞に載るとはね。

 あーゆー事態になったとき、書店としては騒動を逆手にとって販売するという戦略もなくはないだろうけど、書店は損失なしで版元へ返品可能(店頭の本は委託販売なんで書店の財産ではない)なシステムである以上、さっさと返品するでしょうよ。まぁ、出版社倒産じゃないので急いで返品しなきゃいけないこともないでしょうけど、もっと確実に売れる本はごまんとあるんだから、スペースの無駄ってもんで。本屋の売り場ってのは面積に比して溢れまくった本の戦場ですから、敗者は去るのみ。

 一方、図書館は当然利用者に資料提供し続けなきゃいかん。記事中の佐賀市立コメントの違法性ってのが何なのか理解できないんだけど(放送法違反なら撤去ってことかい?そりゃおかしい)、伊万里市立の「内容の是非については判断していない」は大正解、いいコメントですよ。公共図書館ってそういう所なんだよ、いろんな意味で「正しい」本を揃える所じゃない。仮に図書館も撤去だとすれば、市民は書店からなくなった話題本の中身はどこで読みゃいいのさ。毎日毎日、やれみそ汁だ、小豆だと、さも正義の代弁者の振りしてしたり顔で関テレを攻撃しまくる新聞・テレビ局の報道を見て、何が番組で放送されどこが問題なのか、そしてバッシングそのものには虚偽はないんやな、等々を自分で確かめたいというのは至極当然の一般的要求だと思う訳で、幸いにも今回の番組は内容が本になっているんだから、それを公共図書館へ行って確かめるという方法があって、じゃ図書館で調べるという利用者の行動は、図書館側すれば「ご利用ありがとうございます、このような役立ち方こそ公共図書館の本来の姿でございます」って熨斗つけて資料提供したいぐらいなはずですよ。

 図書館から撤去するの?という話が社会から自然発生的に出てくるということが何を意味してるのか、図書館は考えましょうね。それと、図書館資料の利用を何事もなく当然のように「貸し出し」に限定している記事の書かれ方にも。いつまでも無料貸本屋では、書店との違いは無料でレンタルできるってのみで、比較されたら品揃えとサービスの悪さが目に余るだけだって。いつも言ってるでしょ、書店から、そして社会から消え去る本のストックが公共図書館の役目だって…