No.320の記事

図書館利用者は本当に図書館を必要不可欠な施設と思っているのかいな?

 前回のエントリーのコメントで、特に相手があるやりとりはもう少し物を考えてからしなければいけないということを痛感。普段からもっと論理的思考を働かせるようにしておかないから、自分の主張も相手の言葉への理解もぼやけてしまうんだなぁ、と反省。

 そんな中で、公共図書館の「運営資金が税金であるならせいぜい利用したほうが得、という考え方」というところにちょっと「はっ」と。当然、そういう発想は頭では理解しているのだけど、直感的に図書館で予約・貸出を行っている利用者ってのは、当然そういう図書館運営(無料貸本屋的な)を強く望んでいるんだと思い込んでましたから。もっとライトな感覚の、「とりあえずそういうサービスがあるから利用している」レベルの利用者に思い至らなかったのは想像力の欠如だったな。で、そういう利用者を想定したからどーなのかというと、利用者が多い図書館だからといって、その図書館の運営が利用者に支持されているとは限らないということに思い当たりまして。何を言い出してるんだって?いやね、鶏と卵の話のように住民から望まれてそういう図書館になったのか、そういう図書館だからそういう利用をされるのかの明確な判別は今更できないけど(おそらく相乗だと思うけど)、先のライトな利用者は後者の論で生み出されていると。でもこの利用者層は前者の論に必ずしも当てはまらないことに気付いたってことよ。ますます分からない?つまりね、せっかく近所に無料貸本屋があるのならそこで本借りるけど、そういう図書館がないと真剣に困るとまでは考えていないという人が少なからず存在するんじゃないかってこと。実は住民が図書館に対して感じている必要性って、図書館関係者が利用統計などから思い込んでいる以上に相当密度の薄いものなんじゃないのかなって気がしてきたです。
 『市民の図書館』以後、経済発展に支えられ「ないよりあったほうがいい」的理解で拡大・存続してきた公共図書館は、昨今の国や地方自治体の財政難によって縮小路線に転換せざるを得なくなりつつありますが、更に深刻な財政難に陥り公共サービス全般について見直しを行わなければならなくなったときに、図書館が利用者数や貸出数を根拠に今の図書館運営の正当性と存続を主張してみたところで、予想外にあっさり住民に切り捨てらるんじゃないでしょうか。実際の利用者にしても図書館の優先度は他のサービスより意外と低く見られるんじゃ、というか。コメントに夕張市のことも書きましたけど、どういう図書館なら住民から永続的な(健やかなる時も、病める時もって感じで)存在が認めてもらえるのか、やはり利用統計のような薄っぺらな数字以外から検証する必要があるんじゃないでしょかね。