No.337の記事

図書館資料はカオスたれ、さもなくば誰ぞに支配される前に消滅した方がマシ

 愚智提衡而立治之至也 「図書館に思想善導を期待する人々について」 (2007.3.16)

 そのうちリアルに「図書館戦争」が必要になってくるのだろうか?それとも「戦争」にならぬまま図書館は国民啓蒙の場に成り下がってしまうのだろうか…どうも後者に向けて少しずつ流れている気がしてならないが。『図書館戦争』がヒットしても「図書館の自由に関する宣言」の内容はまだマイナーなままなのか、敢えて無視されているのか…。

 まぁね、この国会議員たちは証拠資料がないことが犯罪行為がなかった根拠だとしてる方々ですからね、都合の悪い資料は抹殺したくてしかたがないのでしょうけど、今回の馬鹿げた要求に対しては、国会図書館長がまるで子供に教えるような基本的かつ明快な答弁で退けています。が、国会図書館と違い資料を取捨選択せざるを得ない公共図書館で同様の話が降ってきたときに(○○党が某区に某宗教批判本を撤去せよと要求したとかいう話もあったな…)、このような説明すらできないところが多いんじゃないか、それぐらい今の公共図書館は人材的にも組織的にも弱体化が進行している印象を持たざるを得ない。特に件名「癩」の修正要求のケース、都道府県立図書館があっさり修正に応じてしまったことは、その印象をものすごく強めた。某県立のOPACで、件名「癩」or「らい病」で検索した時、「0件」とのみ表示された結果画面(をみよ参照すらない)を呆然と眺めつつ、本当に本当に背筋が凍り付いた。ナントイウコトダ、と。件名修正を求める方は焚書は避けるべきだとは付け加えているようですが、膨大な資料を蓄積し続ける図書館において件名を修正するということは、アクセスが保証されなくなるという点で焚書と大差はない、とすれば後年、件の議員の論で「差別なんてなかった」と歴史をねじ曲げる動きが出てくることを被差別者たちは期待しているというのか?そんな馬鹿な話があるか!その時、図書館資料が差別用語「癩」で検索できなくなっているということが何を意味しているのか分からないのか!!
 私はこういう感じでこの2つの「事件」を頭の中で結びつけた。これらの件については上記のように強く強く思うことがあったのだが、どうもきちんとした文章はまだ書けない気がしてペンディング状態のままあえてこれまでここでは触れなかった。でも、今日はG.C.W.さんの文を読んで感情のまま書いてみた次第である。かなり取り乱しているのは重々承知、それでも、という気分で。