No.531の記事

公共図書館のボランティア的運営は…

 自身が公務員であるからこその保守的な考え方かもしれない、と自分でも思う所はありますが…

 指定管理者制度により、住民によるNPOなどの団体が指定管理者として公共図書館を運営することは可能ですし、実際にそういうケースがいくつも出てきています。
 もちろん、住民自治という考え方で公共図書館が住民の手で運営されることは好ましいのですが、現実には元館長や職員などが中心となってボランティア的に指定管理者になることで、自治体の財政難を押し付けられているという構図であるケースが多いのではないでしょうか。

 今は、定年orその直前の世代の経験知を自治体が安く買うことが可能ですが、将来のことを考えるとこれは考えなしで非常に危険な状態なのではないでしょうか。
 もちろん、図書館におけるボランティア的活動や住民参加を否定するものではありません。しかし、公共図書館の責務と役割を考えると、本当は図書館運営の中核業務というのは、それで十分食べていけるだけの内容ある業務であるべきだと思うのです(実態として働き以上に給料を貰う公務員が、特に図書館で多すぎるから指定管理者制度万歳という状態になっているのですが…)。今は団塊の世代に余裕があるから格安の指定管理料で済ませられるのでしょうが、今の20〜30代がその年齢になった時、世代的にそんな余裕は絶対にないと思います。普通に労働に対する対価を頂かないと、生活できないのではないかと。

 これから司書になろうとする世代に対して、まともに司書を務めれば適正な報酬を得られるよという体制をとらない限り、少なくとも公共図書館を支えられる人材は30年後には居なくなるでしょう。しかし、努力もしない司書の既得権を論理無く叫ぶだけで、眼前の非正規司書すら放置という業界団体の態度は、本当にどうなんでしょうか…

 住民参加も必要ですが、ではその住民に公共図書館とは何であるか、という知を正しく伝える事は誰の責務で継続していくのかと考えた時に、少なくとも今の日本では、住民のみで運営の公共図書館では出発点から無理、あるいは出発してもどこかでその輪が途切れる可能性が高いような気がします。

 こういう点で、私は根幹業務の直営維持がベターだとは思うのですが、残念ながら司書の専門性を履き違えた某団体は、単なる官尊民卑と保身から指定管理者制度批判を繰り返すばかりで、自省は全くしない、業界が先細りでも知らない、という態度ですから、これからの司書には気の毒でなりません。

 …こんなことを、先日某所で司書になりたいという大学生と話をしながら、自分の身分を隠しつつ考えていました。