最近の日記

日本シリーズ第5戦 感想

 ジャイアンツ、7年ぶり日本一おめでとう。
 …気が早い?もう流れを持っていったでしょう。

 武田久のストレートが上ずれば、ただのフリーバッティング球だっての。しかもストレートしか狙っていない単純なバッターにむざむざと2球も。

 ダルビッシュ?さすがに2回目はないさ。

日本シリーズ第4戦 感想

 今日はキムタク・デー。

 ファイターズサイド、八木は今年の八木らしく、ずっと先頭を出塁させたものの、相手のミスもあって、とにかく結果だけは出た形。攻撃もいつもどおり。昨日を除けばあと1本出るか出ないかだけなので…

 金森が痛打されたのが気になるが、鶴岡が点差に甘えて直球でしつこく攻めただけなので(カーブが全然なかった)、本人がそう割り切ってくれれば今後も心配ないが、打たれた事実だけ受け取らないようにしてほしいな。

 最後の小笠原の走塁、あれはないよね…

日本シリーズ第3戦 感想

 ファイターズは東京ドームに負けたね。
 まぁ、糸数は生命線のシュートを3球コントロールミスしたからね、ホームラン3本。いつもは左打者アウトローの出し入れが精密機械のように決まってなんぼのピッチャーなんで。
 あとは四球もあれだが、小笠原のタイムリーは東京ドームツーベース、あれを狙われたと言えばそれまでだが。その前に継投もありだったとは思うんだけど、今日は…
 その後はおまけのようなものだが、高橋のバントせずゲッツーと、小谷野、田中の守備のミス(通常の守備と比べてのレベルだけど)で、万事休す。
 続投でタイムリー、ノーアウト1,2塁でバントせず、鶴岡への代打が遅れた(三振ゲッツーの場面)など、交流戦でも思ったが、今日も梨田のDHなし試合での采配の下手さが出たとも言えるか。
 明日でシリーズの行方がほぼ決まるか?

日本シリーズ第2戦 感想

 今日は亀井につきる。
 送りバント失敗、ホームラン、振り逃げ後走塁ミス(2塁行き過ぎてベースから離れるってあんた…)、バット折りながら芸術的なライト前。
 今日のこの結果、原はよしととらえるか、駄目ととらえるかだけど…実は負けの主因なので、監督まで前向きになっちゃうと、今後のチームの勢いにまで影響するのでは?

 ということで、3戦目も亀井の5番スタメンは、短期決戦ではやってはあかん、と思うので、3戦目のスタメンに注目です。

 ダル?確かに20%程度の出来でかわしまくりだったけど、その精神力は本当にすごいな。ただ、後半戦にリリーフでも出られるとは思えない出来だったので、窮地に出てくると今度は打たれる予感。

釣り球エントリの意図…

 「読書は…」という釣り気味エントリのそもそもの発端は、公共図書館の「指定管理者制度反対」論で語られる公共図書館像って、情報集積機能(資料の収集・ストック機能など)やレファレンス機能がすごく発達してて、その公共性を論拠にして反対論を展開しているのに、そういう話の出てくる公共図書館に限って実は貸出ばっかじゃないの?という素朴な疑問から。

 なんというか、業界の理想論の二面性って言うべきなんですかね?直営時代は貸出至上主義を信奉してたくせに、いざ指定管理なんて話になると「いや、公共図書館は無料貸本屋じゃないんですよ」って急に理想論に手のひら返すという不思議さ。下手すると、指定管理者をその方向から非難までしちゃうという。これが作戦的な裏腹ならいざ知らず、どうも本人さんたちはその変貌すら自覚がない始末。じゃあ、それで貸出至上を否定するかというと、直営である限りは「市民の要求」を振りかざしてそのまんま。

 訳が分からないので、とりあえず、ベストセラー貸しの理由を問うてみたかったのですよ。別に納得できる回答は期待してませんけどね…

 それと、何故無料なのかという点も。例えば今の日本だと、下水道が普及して本管が家の前に敷設されると、法的な強制力をもって家の排水管をその本管に繋がされますが、その費用は個人持ちなんですよね、受益者負担という考え方で。もちろんその後は下水道料金も払い続けます。排水を下水道を通じて処理するということは、利用者の家内環境そのものが向上することはもちろんですが、それ以上に環境面から考えれば非常に公益的なはずです。が、強制的に下水管に接続させられる上に、その費用は自分で払うんですよ。そういう意味で、下水道管に接続すること以上に、図書館でのベストセラーの貸出は公共性があるということでなければならないのですよ、社会制度的には。で、その説明、今の図書館業界はできますか?

(11/3、一部修正)

日本シリーズ第1戦 感想

 最終回の反撃があったので、ファイターズにとっては思いの外ダメージの少ない敗戦でしょうか。そうとしか言えないぐらい、ジャイアンツペースの試合運びでした。

 ノムさんは、坂本と李のタイムリーで、勝負を避ければと言っていたが、まぁ坂本の場合はそれまで武田勝を打ちづらそうにしていたし(あの時は勝のコントロールミスがすべて)、李を歩かせて満塁にすると江尻の場合、押し出しがあるので、第1戦であることも加味して、それぞれ勝負したことは間違っていないと思いました。

 それ以上に今日のポイントは、バント処理を誤った勝と、糸井のバント失敗という、両軍それぞれの送りバントの結果。3塁アウトが確実な打球を取り損なった勝、ファーストがあれだけチャージかけてきたのに、何故か3塁線に転がすというセオリーを無視してまで1塁線にバントした糸井。どちらがファイターズですか?という内容でした。

 明日の先発は糸数でしょうかね?私は八木か藤井にして、どちらかを東京ドーム回避させるというローテーションがいいかなと思ったのですが、今日の負けで糸数で勝ちにいかざるを得ないかなと。これで、明日ダルビッシュが先発なら、「ファイターズはいつからドラゴンズになったんだ」と叫ぶと思います、はい。

 …意外とジャイアンツに負けても悔しくないのは何故だろう?

読書は個人的趣味の極み、と読書週間の真ん中で叫ぶ

 今更何をと言われそうだし、それでも自分で納得する結論が未だに得られていない話なので、長文のわりに最後まで読んでもすっきりしない、そんな話です。

 「公共図書館は何故、無料で資料を貸しているのか?」

 …あんた、ほんとに司書資格持ってる?図書館法って知っている?ってつっこまれそうなお題。
 いや、法律論とかを聞いているのではありません。図書館法や著作権法のことは一応、知っておりますから(笑)。

 当たり前の話ですが、公共(ここでは=公立としておきます)図書館は、税金で建物を建て、人を雇い、施設を維持しながら、本を中心とした資料を購入し、それを無料で貸している施設です。貸出以外の機能は、そのレゾンデートルを自分は認められますので今日はパス(図書館業界ではそうでもないけどね…)。で、貸出も公共サービスですので、当然このサービスには「公共性」というものが無ければ成立しないですよね(公共図書館の公共性もいつも議論してますけど、今日はもうちょっと俗っぽく話をしたいのです)。

 さて、学術的であるとか専門的であるような資料は、個人で買うのはどうよという価格をしていたり、それを利用した調査研究が世のためになる(かもしんない)という点で、まぁ納得。
 自己啓発本やビジネス書は疑問がない訳ではないが、個人で購入するよりも貸出することにより、より多くの市民が読むことになり、市民の資質向上に繋がる…と無理があるけど何とか納得。
 じゃ、ベストセラーはじめ文芸書はどうなの?そりゃ、上質な日本語に触れるとか、読書は教養になるとか、よく言われているんだけど、何か釈然としないんだよね。児童書はともかく、大人の図書館から借りた本の読書って、本当に本人の教養なり自己研鑽に結びついてるか?というか、単なる娯楽提供じゃね?というか。ここを突き詰めていくと、公共図書館資料=良書論にしか行き着かないが、そりゃ大きな間違いだし。まぁビデオやDVDの貸出の場合は更にそんな気がするんだけど、あれらは貸出用資料の購入時に著作権料的にお金払っている点や、最新のものは貸出できないというルール上に成り立っているので、まだ納得できるんだよね。本は個人用定価で買って無料で貸し出すから、著作者や出版社が怒っているし…うーん。活字を読む場合と映像を観るのでは、同じ物語でも想像力が違うでしょ、だから読書は素晴らしいことなんだよ…的な論もなんだか怪しい気がする。もちろん、絶版本なんかを図書館から借りる的な場合は、公共性がよく分かりますが。

 つまり、「文芸書的資料の貸出」に対する公共性が一番分からないし、そのよくある理由説明(読書=絶対善という価値観)にしても、結局、活字媒体だけ特別扱いである理由が分からないのです。
 要求論に対する単なる批判をしたいのではないのですが、所得制限もしないでバラマキという民主党への批判を見ると、関係はないけどいつもこの公共図書館のことを毎度毎度思い出すのです。民主党はともかく、公共図書館がもっと利用されなければという危機にさらされている時に、いずれこの話は大きく湧いてくると思うんですよね、行政サイドから。だから公共図書館を貸出機能から考えてはいけない、と思っているのですけど、何だかこれ以上うまく言えない…

 以上、読書週間まっただ中に、かなり挑戦的かつ支離滅裂な思いつきエントリでした。でも、本気でだれか税金を使って「公共図書館がベストセラーを無料で複数冊買ってどんどん貸し出し、ブームが去ったら本を捨てて」も、図書館利用者以外からの苦情が顕在化していない本当の理由を分かりやすく教えてください。

楽天に勝った日ハムが思いのほか悪者扱いされていないのは、野村胴上げのおかげか?

 昨年、梨田采配に腹を立ててファイターズファン辞めたと書きましたが、今年後半に入ってからは納得できる選手起用に変容したこともあって、ファンには戻っております。

 で、今年はジャイアンツと日本シリーズとなりました…うーん、ジャイアンツ相手だと、交流戦で一敗するだけでもんどりうつほど悔しいというのに、果たして最大7試合も勝敗を観ることに精神的に耐えられるのか、甚だ不安です。
 一時期に比べると、ジャイアンツも選手を養成するようになり、そこまで嫌う要素がなくなってきたとも思うのですが(だからこそのリーグ3連覇なのでしょう)、でもね、どうしてもね、原のグータッチを見ると、無性に腹が立つのですよ、今でも。

 ということで、31日から色々耐えながら、テレビ観戦します。一応予想しておくと、札幌では武田勝、糸数で1勝1敗、でも東京ドームは八木、藤井、スウィーニーという一発病トリオのローテーションなので、下手するとGのホームラン祭りで5戦目で終戦という結末も十分ありだと思います。東京で1つでも勝てれば、何とか五分五分といったところでしょうか。そりゃ、ストレスたまるわ…

公共図書館が国会図書館に滅ぼされる日

 例えば、国会図書館が蔵書すべてをデジタルアーカイブ化し、それを有料でネット貸出(配信…と言うべきかなぁ?)することを実現したとしますね。

 さて、公共図書館はどうなるのか?…おそらくは、パソコンが使えない住民のために、PC数台と若干の職員を残して、あとは建物ごと消滅するのではないでしょうか。
 まぁ、実際これに向かっているらしい国会図書館が、あまりに単館主義(自分達の発展だけ考えて、国全体で図書館がどうなるかを考慮しない政策の進め方)だと論じることも私は必要だと思いますが、それはそれとて、ほとんどの公共図書館にとって、この方向は、やれ選書論だ、指定管理だという現在の議論はまったく無意味なものとなりかねないぐらいインパクトがあるはずですが、そういう目で事態を見ている公共図書館員がどれほどいるのでしょうかねぇ…自らの失業の危機的に。

 行政的に考えて、国が場所を問わずに一律でかつ低額でサービスを提供する環境が整えば、市町村や都道府県は大枚はたいて図書館を自前で運営する根拠がなくなります。地方の図書館業務は、せいぜい住民に対してコンピュータリテラシーの涵養と、それでも対応が難しい住民用に支援をする程度かな、と。

 こういう意味で、図書館が紙メディアのみに固執することは大変危険な状態になっているし、では地方の公共図書館がそれでも存在する運営というものは何なのかを導き出し、今からでも実践しなければならないと思います(ただし、それは存続目的での転換はなく、将来予測を挟んだ上で現状に足りないものの補充であると考えます)。

 それがどういう方向であるのか…は、各図書館員でまずは考えてみてください。もちろん、私が全ての答えを持っている訳ではありませんが、少なくとも、ここでいきなり貸出がどうとか、読書がどうとか言う時点で間違いだとは思います。貸出ありきでは、国会図書館に簡単に滅ぼされますよ。何しろデジタル貸出なら複本問題も予約問題も発生しませんし。

 ちなみに、本当に国会図書館が公共図書館を上記のプロセスで滅ぼしてしまった場合、たぶん出版界もごく一部のベストセラー作家と出版社のみが得をするだけで、大半の作家・出版社は食っていけなくなり、出版界も衰退の一途だと思います。それも、国会図書館のデジタル貸出に対して法外な権利料を要求すればするほど顕著に。この辺りのごたつきで、本当は近々は実現しないと踏んでいるのですがね、個人的には。

レファレンスは誰がどう対応するべきか、という問いなのでは?

 ・読売新聞「図書館相談 まるでクイズ…「大阪府民やり過ぎ」知事苦言」(2009.9.25)
 ・朝日新聞「図書館が受ける「高度な」質問とは?」(2009.9.26)

 これらの記事に対する反応を大きく分けると、図書館関係者の「レファレンス対応は重要な図書館機能であることを橋下は理解していない」というものと、ネット住人たちの「そんな質問は自分でググれ、ぼけ」というものの2つでしょうか。

 まず、どんなくだらないレファレンスにも公共図書館は対応するべきだ、という図書館をよく知る者の意見については、確かにその通りだと私も思います。現場にいたときに、まるで秘書相手のようにくだらぬ質問を自分で調べることなく頻繁にメールレファレンスする利用者がいて、いい加減にしろよと思ったことはありますが(調べ方を教えても自分で何とかしようという気がまるでないのが余計にね)、情報検索スキルは個々様々であることを前提として、基本的にはレファレンスは全て受けるべきです。

 ただ、今回の橋下知事の意見も、行政的観点ではありえる意見であるとも思います。対応が高コストであるレファレンスの内容がこのように「しょうむない」(シロウト的に、という意味で)のであれば、何故府立がそれを引き受けなければならんのか、という意見。これ、例えば資料収集では市町村立・県立・国会図書館の役割がゆるやかながら分化されているのに、レファレンスではどうだろうか、という問いに変換できるのではないでしょうか。もちろん、レファレンス対応とは原則、収蔵資料紹介な訳ですから、収蔵資料構成によってその役割はある程度分化できるでしょうが、例え収蔵資料になくても、ネットやデータベースで簡単に答えられるレファレンスは誰が対応しなければないのか、反対に言えば府が対応すべきではないという意見に反論する根拠はないのではないでしょうか。
 もちろん、そんなの府の身勝手以外の何ものでもない意見ですが、でも府立とは何かという問いとしては少し的を射てる気がして、貸出からレファレンスに路線変更すれば「これからの図書館」として生き残れるという考えだけでは甘い、レファレンス対応の根拠と中身も再考しなければという認識を関係者は持たなければならないでしょう。

 最後に、レファレンス対応は答えを出すクイズとは違うということは、強調しておかなければならないでしょう。あくまで所蔵資料を紹介するもので、しかも出典の正確性や信頼性も含めての対応なのです。それこそネットの知恵袋との違いなのですが、これは利用者がどのレベルの回答を求めているかの問題なのです。とりあえずの回答で満足なら、知恵袋で対応させてもいいでしょうし、それ以外でも利用者が自分でネットや所蔵資料を調べられるようにスキルを伝えることも公共図書館の重要な役割だと思います。その1つとして、レファレンス対応のプロセスも利用者に回答して、それほど高度でないものは今後は自分で探すというスキルを身につけさせることも必要なのではないでしょうか。図書館は単なる知恵袋ではないのですから…