最近の日記

とある市立図書館でただの馬鹿だと思われたような出来事

 この前の『出版ニュース』の件で、先日、我が故郷の市立図書館へ行ってきたのですが、閉架から出して貰って中身を確かめ、さてコピーをとろうと思って、カウンターの職員に声をかけたのです。

 (ジェスチャーで書く真似をしながら)
 「あのー、コピーしたいんですけど…」

 「…はっ?」

 (あぁ、よく分からぬボディランゲッジで言葉を省略してはいけないか…)
 「複写をしたいのですが、申請書いただけますか?」

 「…シンセイショ?」

 (…あれ、まだ意味不?)
 「えっと、コピー機を使いたいのですが、セルフ式なので複写の申請書か申込書かをですね…」

 「あぁ、どうぞ使ってください」

 (ほへっ??)
 「何も書かなくていいんですか?」

 (何なんだ、このおっさん?て顔で)
 「どうぞ、そのままお金入れて使ってください…」

 ってなやりとりがあった訳ですよ。いや、この際、職員の態度は無礼とか失礼とかという話じゃないんですよ。私が何を意図して話しているのか、皆目見当もつかないというような態度を問題視してるんです。閉架書庫から簡単に本を見つけてくれたので、たぶんあの人は司書だと思うんですよ。カウンターの司書が、セルフ式コピー機で利用者が複写する時は、申請とコピー後のチェックをせなあかんという建前を知らない、というのがやばいんちゃうか、という意味で。まぁ、実際の運用がどうだかというのは、この際いいんですけど…。

 コピー機のすぐ前には、例のJLAの「資料には著作権があります」ポスターが思いっきり貼ってございました。ふーむ…

公共図書館の非正規問題の根元は正規の働きぶりにあり

 ちょっとタイトル煽り過ぎかなぁ、とも思うのですが、常々私はそう考えているという話。

 まず、委託だ指定管理者制度だを吊し上げるのに、あれは官製ワーキングプアだと断じる人々・団体がいらっしゃいますが、民間と直営の非正規でそれほど待遇が違うとは思えないんですよね。時給や日給がそれほど違う訳でもないし、働かせ方が過酷になる訳でもないし(もしそうなら直営時が緩すぎたということを確認してもらいたい)、立場上の責任がものすごく大きくなるでもないのではないでしょうか。ただ単に、民営化や指定管理者制度で人件費を削減しているというのは、正規の数を減らしている訳で、自分達の席が減る事に対して、非正規をダシにした現役公務員(正規職員)の詭弁的抵抗ではないかと。ということで、直営、委託、指定管理者制度での違いを論じてもあまり意味がないので、以後一律に考えます。

 で、図書館の非正規は待遇が悪いという話。そうですね、あまり広い視野で見たことはありませんが、いくらかの経験から言うと、図書館の非正規は他の役所の非正規よりよく働いている(もちろん例外ありですが)とは思います。そういう意味では時給が安いかもしれないですね。しかし、それでも図書館で働きたいという人が多いために、別にこれ以上時給を上げなくても、雇う側は困らない。個人的には司書資格がもう少し評価されてもいいがと思わなくもないですが、司書有資格者はご存じのとおりゴマンと溢れておりますし、司書有資格者ってだけで即戦力とは言い難いし、かといって上級司書とかほざいている業界団体もおりますが、上級司書って、正規で働いている司書しかなれないような制度設計のようなので、非正規とは基本無関係だし…という状況では、資格問題は非正規の待遇とは事実上直結してないと思うとります。

 待遇が悪いというのは「自分の労働に対して」と考えるのが一般的ですが、図書館の非正規の方々はこれに加えて「他人の労働に対して」という少々精神的な問題も抱えているのではないでしょうか。もちろん同じ境遇の同僚と比較してもあるかもしれませんが、それはどの職場にもある話でして、ここでは自分を統括する正規職員に対して、という意味です。そう、彼ら正規は自分たち非正規より、2〜5倍以上の給料を貰い、有給休暇も多く、かつ定年まで身分が保障されながら昇給・昇進していく存在ですから。もちろん、そういう待遇を対価として貰うべき労働をしていれば、非正規も変に羨んだり、自分を諦めたりしないでしょうが、特に公立図書館の事務でやってくる職員の質は悪いことが多い。その辺に問題の根元があるように思えます。

 結局、表面的に正規が非正規の境遇を憂うだけでは、問題は解決しないのです。また非正規が現にこれだけがんばって正規並みに仕事をしているのだから、それに応じた待遇にしてくれよという主張も、根本的解決には繋がらないでしょう。善悪はともかく、図書館だけ特別にそのような制度にすることは、事実上不可能ですから。

 ではどうすればいいのか。私は、この非正規・正規の待遇の差は、何によって生じなければいけないのかを考えることが必要なのではないかと考えています。境遇を変えることが難しいのであれば、正規、非正規の境遇格差に見合う仕事格差をつけるべきなのです。(ここで絶対に勘違いしてほしくないのですが、非正規に単純作業しかさせないとか、重要な仕事は任せないという、幼稚な二元論的解釈はしないでいただきたいです。)非正規率の高い図書館では特に、役職のない一般の正規職員ほど非正規職員を束ねてマネジメントする能力が必要ですし、非正規ではできない役所とのやりとり(予算、人事、広報etc)も正規ならではの重要な任務です。もちろん図書館での経験があれば、内部業務でも非正規を指導し助言するだけの役割も担わなくてはいけません。むしろ、そういうことがきちんとできて、非正規職員が気持ちよく働く環境を提供できる正規職員であれば、非正規職員だって安月給でもモチベーション高く働いてくれると思うのです。それが実現されていないからこそ、非正規の不満が充満している、それだけのことなのではないかと。

 こういう正規と非正規の役割分担がなされて初めて、正規と非正規の適正な人事配置や、業務委託・指定管理業務の適正な範囲の検討というところに入ることができるんじゃないかなぁ、と。正規がカウンターに立てないとニーズが分からなくなるという低次元な論議を見る度に、そんな図書館は指定管理者制度を全面的に導入した方がいい図書館になるだろう、と私はいつも頭でつぶやいてます。

公私ばたばた

 最近、すっかり更新をさぼっておりますが、公私ばたばたと忙しく、はてブちょこちょこが限界だったのでありまする…

 とりあえず仕事の方は、1つは片が付いて、年度最後の1つも目処が立ってきました。私ももう少しで落ち着くかしら…

 ようやく、明日に誕生日休暇をいただきます。何しよか…
 

県内公共図書館では『出版ニュース』が収集されていないとは…

 まぁ、見出しの通りなんですけどね…

 仕事で『出版ニュース』内の記事が必要になったのですが、これがなんと、県立(只今蔵点中なのですが)はとうの昔に購入打ち切りで、市町村立も購入なし。ええっ、あれってある種の図書館業界誌なのに、と思いつつしつこく県内で調べると…やや遠くの女子大にはあった。むー、でもかの大学図書館のHPは一般利用のことが特に明記されてないし、そもそもおっさんが校門をアポなしでくぐれるのかどうかも分からない。

 しょうがないので、隣県で古そうな市立図書館を攻めてみたら、あっさり我が故郷の図書館にありました。しょうがない、週末に入院してる父の見舞いついでに行ってくるか、となったのですが、それにしても、公共図書館は『出版年鑑』さえあればもう『出版ニュース』はもういいってことなんでしょうかね?確かにどうでもよさげな記事もあるけど、図書館員が図書館や出版業界の知識を仕入れる気がなくなっているという気もするなぁ…

図書館資料から権威を排除しようよ

 ・JanJanニュース 「公共図書館の中立性は保たれているか」 (2009.12.26)
 ・日本禁煙学会HP 「タバコ礼賛「たくさんの不思議2010年2月号」の不当性について」(注)Word文書 (2009.12.27)

 世の中には、新聞やテレビなどのマスコミの報道や情報を、ものの見事に鵜呑みにする人たちが結構います。マスコミは自主的に倫理規定などを設けて事業を実施しているため、トンデモ情報が流布されることはインターネットなどと比較すれば非常に少なく、また各社はそれにより概ね信用を得て成り立っているという構図がありますので、確かに視聴者や読者がそれを丸呑みするということも、大きくは間違っていないかもしれません。

 しかし、例えば産経新聞と朝日新聞、フジテレビとテレビ朝日のように、同じ全国レベルのマスコミでも、特に社の主義主張を反映した報道では、同じネタでも正反対な視点で正反対な評価をしていることは、往々にしてあります。明らかな誤報や情報操作は別として(本当は、そういう事はよくあるという前提で見聞した方がいいけど)、どちらがより正しいとか好きとかは個人の問題です、そんなものは。しかし、恐ろしいことにこういう差異が存在するということ自体、認識できない人たちがいて、また認識できるレベルに達するとその差異が許せない、即ち自分の主義主張に合致したもの以外は存在を認めないと思うようになる人たちが出てくるのです。これは偏った思考の人たちに顕著なんですが、それは自分が偏っているからこそ、それ以外の幅が広くなるだけの単純な話だと思います。
 また、これよりは弱いですが、マスコミ権威論と同じ構造が本という出版物にもあるようで、製本されて一般の流通に乗ったものは内容が正しいと思いこむ人もいるようです。これも本を作るというハードルが正確性を担保していると言えなくもないですが、実は大したハードルではないことは、ちょっと知っている人なら常識ですね。

 で、これを複合して悪用していたのが新聞に「○○でがんが消えた!」系の本(バイブル本というらしい)をばんばん掲載していた出版社で、新聞の権威を広告費という金で買うという構図です(あまりにひどくて数年前に某社役員が逮捕されてからは沈静化したんだけど)。こんなん、金出せば全国紙でもほぼ掲載される類のもので、新聞社による内容審査なんて皆無だと知っていれば、権威もへったくれもないのですが、これが意外と○○新聞に載ったからいい本、正しい本なんだと信じる人が存在して、正しいものとして売れたりするんです。

 図書館員や書店員の経験談だと、こういう人たちっていきなり
「今朝のC新聞(←特に東海地方だと絶大な影響力を持つ日本一の地方紙)に載ってたあの本、欲しいんだけど」
と問いかけてきて、タイトルや出版社を尋ねるとうろ覚え、メモしてくるとか新聞を持ってくるということは100%なくて、でもちょっとそれでは特定できないんですが…などと言おうものなら、
「あんた、書店員(図書館員)のくせに、新聞も読んでないの!」
と激高するらしい。あぁ、恐。書評欄ならいざ知らず、広告欄のうさんくさい本なんて知りたくもないわ、と言いたいところでしょうが、書店員の場合は商売だからそうとも言えず…なんて聞きました。(ちなみにそのなごりで我が家は未だにC新聞。そもそも新聞購読自体もう不要なんだけど。先日、Y新聞が勧誘に来たときにぐだぐだとC新聞と天秤にかけろとうるさかったが「巨○軍を含むYグループが大嫌いだから」と言ったらすごすご帰って行ったよ、あの悪名高いY新聞の勧誘員が。)

 閑話休題、ここで図書館資料の話。図書館には良書(のみ)があるという世間の認識は、いつ頃に生まれたものなのか興味深いところですが(公共図書館に対しては『市民の図書館』以後、大衆化してからじゃないのかなぁ…と漠然とは予測しますが、すみません調べていません)、公立図書館の場合は税金で買っているんだから、変な本、間違った本はないだろう(これが過ぎると時々出てくる「こんな悪書を税金で買うなんて」になる)という世間一般の思い込みから、あるいは利用者を増やすために無難な本を図書館がお勧めしてきたから、あたりでしょうか。

 うーん、前にも書いたけど、図書館が選書をしているのはただ「お金がないから」なんだけどね。別に選書は図書館の権限や権威の源泉でもなんでもないんだけど、どうも公共図書館員でも勘違いしている輩が多い気がするなぁ。普通の公共図書館であれば、どんな本でも全て買うのが理想で、金がないから絞り込んでいる、ただそれだけの行為なんですよ、選書は。選ばざるを得ないなら、結果としてできるだけ正確な情報が多く得られるように構成せざるを得ないだけであって、俗悪本(最近はそうでもないがマンガも含む)やトンデモ本の類は外さざるを得ない(くどい?)ということです。先々月のNHK『爆笑問題のニッポンの教養』で、太田が国立国会図書館はエロ本も収集しているの?と長尾館長に食いついてて笑ってしまいましたが、NDLは購入ではなく納本収集であるにせよ、これも図書館は良書を収集するものだという一般的な認識が現れた言動なのでしょう(しかし実際にはNDLも俗悪本の収集率は悪いとな。最後の砦なんだから、もう少し本気で収集して欲しいんだけどなぁ…)。

 だからこそ、選書のプロセスで図書館側が「これ面白いよ」「これお勧め」「これ読め」と色付ける意図は、実は意識的に排除しなきゃならないんですよ。そうでないと、今回の記事のような意見に対して対外的に自分たちの行為を弁護できなくなるんだけど、そんなこと多くの公共図書館が分かっていないよなぁ、きっと。これは典型的な「図書館の自由」の問題なんだけど、上記で指摘した勘違い図書館員は「図書館員の自由」と更に勘違いしていて、市民の自由を笠に着た「図書館員の選書(あるいは廃棄)の自由」を主張しているだけなんだよね…。

 ちなみに、JanJan記事では右系本を市立図書館がお勧めしていたと言ってますが、入口近くの最近返却された本のコーナーを勝手にお勧めと勘違いしているだけじゃないかなぁと思います。だって、市立図書館にそんなものをお勧めする「度胸」があるとは到底思えないから(笑)。理想論だと分かって書いちゃいますが、そもそもどんな本であれ、公共図書館で特定の資料をお勧めするなんて、自分の首を絞めるだけなんですけどね。うちの市民は自分で本を選べない、メディアリテラシーが低いんですよと公に認める行為なんだから。誰かに勧められることを受け身になって待っている人が世間には多いという現状はありますが、こと公共図書館に限って言えば、それは過去に大衆化路線を取った対価としても、ちゃんと市民のメディアリテラシー養成を図書館がしなければならないでしょうに、そういう課題を認識している公共図書館がどれだけあるのか、ということです。適当に面白そうな読み物をお勧めして貸出が増えた、よかよか、で終わってるでしょ、結局貸出至上主義に染まって脱却できていないから。お勧めするにしても、貸出を増やす、来館者を増やすという薄っぺらな目的以外の意図をもって、資料を選ばなきゃ。図書館として利用者を、市民をどうしたいのか(もちろん思想善導的な意味じゃないよ)、そういうビジョンがなければいけないし、そうでないと図書館そのものも更に窮地に陥っていきます。

 最後に、記事のように自分と対立するものを排除させるということは、特に特定の主義主張に傾倒している人たちにとっては、自分自身のレゾンデートルの消失を意味する行為なのにね、といつも思います。本にしても「悪書」があって「良書」が存在する訳で、どこに価値判断を置くにせよ、悪書が悪書たらん、即ち良書が良書たらん理由は、悪書を読んで確かめないことには全く理解できないという、当然の原理が分からないのだろうから、真っ先にこういう人達をどうにかするのが図書館の役割ではないか、そんな気がします。(そもそも、自分たちの認定した悪書に対して他人が金をつぎ込んでほしくないのであれば、尚のこと図書館に購入させて皆が読めるように、どんどんリクエストすればいいぐらいなのですが(笑)。)

 是非、図書館は「悪書」を(軟らかくするなら「も」)もっと収集されたし。図書館が中立であるということは、端を切り捨てるのではなく、全てを含むという意味なのですから。冒頭のように外部から攻撃されたときだけ、埃まみれの「図書館の自由」を奥から出してきて振り回しても、偏狭者のみだけでなく、だーれも説得なんてできませんよ。

4日も前に明けました

 今日から仕事始めだというに、皆さまには今更ですが、おめでとうございます。

 特に正月は、山奥で毎日がっつりと雪掻きをしていたものの、結局は食っちゃ寝の生活で、猫一匹分の体重が増えていました。恐ろしいものです。日常に戻れば、体重も戻っていくと思うのですが、それとは関係なしに毎日のように偏頭痛に悩まされています(しかも毎日痛いところが違うという…)。

 最近、更新が滞っておりますが、まぁそれなりに仕事があるということでお許し下さい。しかし、何をしなくても給料が下がり続けるというのはなぁ…いかんいかん、新年から愚痴を言っては。

 ということで、本年もよろしく。

書店が指定管理者になることから、直営の駄目さ加減を考えてみる

 ・タウンニュース「山内図書館 有隣堂への委託決定」 (2009.12.17)

 記事にもあるように、書店が図書館の指定管理者になることは普通にあることで、TRC以外の指定管理者としては、業種的には最も多い…かな。

 しかし、この記事を読んで?と思ったのは、指定管理者によって「レファレンスの専用デスク設置」が予定され、また綾瀬市立では既に「ボランティア活動の充実や図書館の書庫見学などの企画で市民から好評を得ている」というところ。これらの実施は、実は直営の方が相当有利な事項であると思うのですが、これが民間の指定管理者による成果になっている、と捉えられます(この記事だけで断定できませんが…)。

 私は、書店を指定管理者に指定するのは、公共図書館は本貸し業であるからして、新刊本流通と販売のノウハウを、図書館の新刊購入と貸出業務に活かしてちょうだい、というのが行政・首長・議会・住民の意図であると理解していたのですが、どうやら公務員有利の業務まで現状維持どころか「改善」しているということなのでしょうかね。

 そうなると、直営派から「人件費の削減により、優秀な司書を安定的に確保することが難しい」と言われてもさ、環境的に相当ハンディを背負った分野でも指定管理者に負けた「優秀な司書」達は、何が「優秀」だったん?となる訳で。新刊以外の資料収集?取扱に慎重を期するような資料保存?…違うね。彼らは新刊本を社会の人気に基づき購入し、何の工夫をしなくとも貸出予約が集中する本のバーコードをPCに読ませ、賞味期限が切れたら本を捨てる、それだけしかしていないかったんだよね(←あえて単純化して悪意を持たせていますが、概ね合っているかと)。そりゃ、書店にとって代わられますよ。

 いつもの繰り返しですけど、公共図書館って何?のそもそも論から話を戻し、それ以外の機能に目を向けない限り、直営維持は部分的にもありえません。指定管理者制度導入の検討にも、少なくとも直営有利な業務ぐらいは仮想(敵?)の民間業者に圧勝とならなければ、直営なんて望むべくもないですよ。まして負けなんて論外、もうお金貰ってするレベルの仕事ですらないんじゃないでしょうか。本屋は本屋でも、古本屋と勝負しなきゃ駄目なんじゃない?…というのは、冗談とも本気とも言えない戯言ですが。

東京嫌い、再び

 1年ぶりでしょうか、東京出張に行っておりました。

 1年ぶりの秋葉原でものすごく迷子になり(だって脳内マップが全然役に立たないほど街が変わるのが早くて…)、歩き疲れて夕飯を外食する気にならず、「肉の万世」のカツサンドを買ってホテル部屋で食べるほど。
なんかもう、店に入って出ると東西南北がすぐ分からなくなって、来た道をそれと気付かず戻ったりすること、幾度か。年齢的なもので空間把握能力が落ちまくりなだけだろうか…

 あと、神保町でも迷いまくり。これも地下鉄の駅を出たところで方向感覚が狂ってしまった。だめだ、こりゃ…

 あと、初めて700系の新幹線に乗った。300系より大変乗り心地がよろし。N700系に乗るのはいつになることかのう…

ファイターズ・ベイスターズ トレード

 稲田、坂元両選手は渋い働き具合が好きでしたが、稲田はレギュラーとして、坂元も常に一軍ブルペンに居られるチームに行くということで、ドラゴンズ戦で見ることになるでしょう。

 一方…加藤はケガの具合はどーなのか?二岡みたいに結局一年ケガと共にでは何にもならないが。とかく、最近のファイターズはトレードが「ど下手くそ」なので、心配ではある。

 どうでもいいが、加藤、松家、関口の3選手は何故か全員、国立大学出身(東京学芸、東京、滋賀)らしい。ファイターズカラーに合うかしら?

日本シリーズ第6戦 感想

 今年のファイターズはWBCが最後の最後で響いた、そんな感じ。稲葉とダルについてですが。

 数日前に権藤博氏が阿部について、日経新聞に大変的確なコラムを寄せていたのだが、曰く、打たれるまで続ける「追っかけリード」、ミットを流して際どいボールも即座にピッチャーに返球する姿を、谷繁との比較を交え半ば批判しつつ、これで審判の好印象を得た上で、これ以上に打つという、陰陽の「陽」のみで生きる珍しいキャッチャーとして指摘をしていた。大変鋭い。
 で、ファイターズ打線は、特に後半、この単調な阿部のリードに裏の裏をかかれすぎた(阿部には裏も表もなかったと思うが)。第6戦だけ見ても、結局勝負球はストレートという実に簡単な配球だったのに、いくらなんでももうないだろうと思ったファイターズ打線の負け。普段から考えて野球してるものだから…。

 チームとしても、陽が陽すぎて陰が負けた。セリーグはよくもこんなチーム相手にシーズンを戦ってますな…